備後国分寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 00:05 UTC 版)
備後国分尼寺跡
尼寺跡は、僧寺跡から堂々川を挟んで西の小山池廃寺跡(こやまいけはいじあと、福山市神辺町西中条:北緯34度33分49.53秒 東経133度23分15.60秒 / 北緯34.5637583度 東経133.3876667度)に比定される[3]。1976-1978・1997年度(昭和51-53・平成9年度)に発掘調査が実施されている。
伽藍配置は東に金堂、中央に塔、西に講堂が並ぶ珍しい形式である[3]。白鳳期末期の7世紀後半頃の創建で、平安時代の12世紀頃まで継続したと推定される[3]。備後国分寺と近接し、かつ備後国分寺と共通する瓦が出土することから、白鳳寺院が奈良時代に国分尼寺として再利用されたと推測される[3]
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(福山市教育委員会・神辺町観光協会、2005年設置)
- 『日本歴史地名大系 35 広島県の地名』平凡社、1982年。ISBN 4582490352。
- 「国分寺」、「小山池廃寺跡」。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『備後国分寺 -広島県深安郡神辺町御野・竹尋・神辺・湯田・道上地区埋蔵文化財基礎調査地名表-(神辺町文化財報告書2)』神辺町教育委員会、1966年。
- 『備後国分寺跡第1次発掘調査概報』広島県教育委員会、1973年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『備後国分寺跡第2次発掘調査概報』広島県教育委員会、1974年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『備後国分寺跡第3次発掘調査概報』広島県教育委員会、1975年 。
- 『備後国分寺跡第4次発掘調査概報』広島県教育委員会、1976年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『小山池廃寺発掘調査概報 第1・2次』広島県教育委員会、1977年。
- 『小山池廃寺発掘調査概報 第3次』広島県教育委員会、1979年。
- 『神辺町埋蔵文化財調査報告20(1997年度) -小山池廃寺発掘調査概要-』神辺町教育委員会、1998年。
- 1 備後国分寺とは
- 2 備後国分寺の概要
- 3 概要
- 4 備後国分尼寺跡
- 5 外部リンク
- 備後国分寺のページへのリンク