仙台裸参り 酒造業との関連

仙台裸参り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/09 06:08 UTC 版)

酒造業との関連

前記の通り1850年頃『仙臺年中行事絵巻』に描かれた裸参りの男性は酒造業に携わっていたとみられている。

菊地勝之助「仙台郷土事物起原考」(1964年(昭和39年)8月初版)には、「仙台年中行事絵巻に載せてある裸参り姿は、今より約百余年前、仙台城下国分町酒醸家菅原屋(今の千松島醸元菅原家の先代)が醸造の安全を祈願された際のものであるという。」 と記載している[10]

平成16年版大崎八幡宮のどんと祭のパンフレット「どんと祭 裸まいりの御案内」では「二百五十年余の歴史をもつ、全国でも最大級の正月神送りの神事である大崎八幡神社(ママ)の松焚祭裸まいりは、神々が神の国へ登られるための炎を目指し、厳寒の中、裸で参られるものですが、前述の通り、寒の仕込みに入る酒杜氏の新酒祈願のための神詣でありました。」と記している[6]

長らく大崎八幡宮の近傍に位置し、氏子総代として神社の運営に携わってきた天賞酒造は、大崎八幡宮の裸参りとは特別に緊密な関係を持ってきたとされる[11]

佐藤雅也は2000年の『宮城県文化財調査報告書第82集 宮城県の祭り・行事』(宮城県教育委員会)掲載の「大崎八幡宮のどんと祭」において、下記のように指摘した(引用は『大崎八幡宮の松焚祭りと裸参り』による)[12]

なお、現在、南部杜氏の里、岩手県紫波町の志和八幡宮(一月五日の五か日祭)や盛岡市盛岡八幡宮(一月十五日)には「裸参り」の行事が伝わっている。文化年間(1804~1818)以降には、杜氏、蔵人が仙台地方へ冬場の出稼ぎにくるようになるが、大崎八幡宮の松焚祭における裸参りが、これらの南部杜氏、蔵人たちによって広められたのではないだろうか。 — 佐藤雅成、宮城県教育委員会、2000

天賞酒造の蔵人の多くは石鳥谷町の北部に位置する紫波町と、隣接する矢巾町からの出稼ぎ労働者で構成された[13]

岩手県紫波町の志和八幡宮で は「五元日祭」(1月5日)と合わせて町の酒蔵や醤油蔵に勤める若者たちが醸造安全を祈願して裸参りをおこなったといわれている[誰によって?]。紫波町は石鳥谷町(現・花巻市)とならんで南部杜氏の里として知られている。このように、南部杜氏の伝統行事として新酒奉納のための裸参りの習俗があったことが知られている[5]

大崎八幡宮の小正月の裸参りの起源について、文化年間以降に南部杜氏、蔵人が仙台方面へ冬場に出稼ぎに来るようになり、これらの人々が大崎八幡の松焚祭(どんと祭)において裸参りをはじめたのではないかとの推察がある(前掲『宮城県文化財調査報告書第82集 宮城県の祭り・行事』2000年)。 同じく、裸参りは造り酒屋の「杜氏連中」が素裸 の腰に注連飾りを下げただけで鈴を鳴らしつつ寒風をついて参拝して醸造祈願をしたのがはじまりであるとしている[5]

現在[いつ?]の紫波町青年団高橋一弘会長によると、紫波町でも古くより裸参りが行われており、戦時中一時中断するも青年団の古参より伝播され、現在も続けられている(毎年1月5日志和八幡宮「五元日祭」にて実施)[要出典]

「天賞裸参り絵巻」平山蘆江作-1941年[5]

1941年(昭和16年)に平山蘆江により描かれた「天賞裸参り絵巻」には、1940年および1941年に大崎八幡宮松焚祭の裸参りに参加した平山蘆江自身の目で見た裸参りの様子を知ることができる[11][14]。以下絵巻中解説文。

(一)

昭和十五年一月十四日
奇縁ありてわか天江富弥氏にさそはれ仙台に松焚祭を見る
天江家の実家丸屋勘兵衛ハ青葉城下に名高き旧家の酒造家なり
嘉例としてこの夜大崎八幡へ裸参りする行事あり
有縁の衆として且ある心願の仔細あり
おのれもまた裸参りの一行に加はる
かしわ手二度打ちて水を二杯あびる
自木綿の行衣に大きな牛薯じめを腰にまき
向鉢まきをしめ口に力紙をくはへる
片手に振鈴
片手に提灯
夜八時お蔵の前に勢揃ひをして 一行三十余人高提灯を先登に
お蔵のまはりを三度まはりて
のっしのっしと大またに力あしをふみしめつつ
約三四丁はなれし大崎八幡へまゐり
御社殿の雪をふみつつここも亦
三度まはりてお神酒を頂き
社殿のどんどの火焔中に ごぼうじめを投げて
おまゐりは終る也
その日を思い出を偲びつつ 辛巳画
平山蘆江

(二)

辛巳正月再び大崎八幡に零す このとし丸屋は新築なりて裸参りの行事亦賑やか也
辰どしは寒さ殊の外強く根雪悉く凍りて
肌をつんざく寒風烈しかりしが
巳どしは我が故郷長崎の冬とおなじほどの温かさなり
先登は高はり提灯
ご主人名代文弥君
杜氏の親方
十九歳の青年 この人威勢甚だよく道々閥歩せり
御神酒
おさかな
おそなえ
武運長久
夜九時頃おまゐり終りて夜あかしの酒宴あり
かくし垂いろいろ
諸々たる和気の中に行事を終わる
昭和辛巳
早春
平山蘆江

注釈

  1. ^ 後述する保存会の設立趣意書に記載された正統な天賞酒造の裸参りは「1.水をかぶって体を清める」「2.ゆっくりと歩み、行きも帰りも私語を慎むために『含み紙』をくわえ、列から離れない」「3.鈴をそろって鳴らす」「4.列の順番にしきたりがあり、動かさない」というものである[15]
  2. ^ さらにその後、2011年の東日本大震災が原因で自社醸造を断念し、銘柄を同県内の中勇酒造に譲渡している[17]

出典

  1. ^ “コロナ終息願い「どんと祭」 「裸参り」参加者は激減 仙台・大崎八幡宮”. 毎日新聞. (2021年1月15日). https://mainichi.jp/articles/20210114/k00/00m/040/288000c 2021年1月23日閲覧。 
  2. ^ 仙台市教育委員会 2006b, p. 22.
  3. ^ a b c d 仙台市教育委員会 2006b, pp. 11–12.
  4. ^ 特集号「郷土の伝承」第1輯『封内年中行事』. 宮城教育. (1931年10月) 
  5. ^ a b c d e 『どんと祭の歴史と民俗』大崎八幡宮、2016年。 
  6. ^ a b 仙台市教育委員会 2006b, p. 9.
  7. ^ 仙台市教育委員会 2006b, pp. 11–13.
  8. ^ 仙台市教育委員会 2006b, pp. 13–15.
  9. ^ 仙台市教育委員会 2006a, p. 167.
  10. ^ 菊地勝之助 『「仙台事物起原考」』郵辨社、1964年。 
  11. ^ a b 仙台市教育委員会 2006a, pp. 173–174.
  12. ^ 仙台市教育委員会 2006b, p. 12.
  13. ^ 仙台市教育委員会 2006a, p. 101.
  14. ^ 仙台市教育委員会 2006b, p. 103.
  15. ^ a b c d e 仙台市教育委員会 2006b, p. 47.
  16. ^ a b c 仙台市教育委員会 2006b, pp. 99–100.
  17. ^ “まるや天賞醸造断念 震災で設備損傷 中勇に商標権譲渡”. 河北新報. (2011年7月16日). オリジナルの2011年7月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110719201936/http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110716t12008.htm 2021年1月25日閲覧。 
  18. ^ 仙臺伝統裸参り保存会


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