中華民国期の通貨の歴史 共産党による通貨統一へ

中華民国期の通貨の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 00:12 UTC 版)

共産党による通貨統一へ

対日戦争勝利後、共産党に支配された地区の各地方政府は、それぞれ通貨統一の作業を始めていた[29]。共産党は解放区ごとに発券銀行を設立して、辺幣を発行していたので、解放区の数が増えてくると、同じ地域で複数の辺幣と国民党の法幣が入り乱れて流通していた[29]。そこで共産党は拡大した解放区ごとに辺幣をひとつに絞り、全てのローカル紙幣を回収しようとした[29]。しかし、その作業が終了する前、1946年(民国35年)7月に国民党と共産党の全面的な内戦に突入したため、通貨統一は中断した[29]

1947年(民国36年)の夏には、共産党(人民解放軍)の勝利がほぼ確実な情勢となった[30]。そのため、共産党は1948年12月1日中国人民銀行(PBOC)を設立した[31]。戦時中に中国共産党の革命根拠地にあった華北銀行(河北省石家荘)、北海銀行(山東省済南)、西北農民銀行(陝西省延安)の3行を合併させたものだった[31]。12年間続いた悪性ハイパーインフレ下にあり、例えば上海では1949年6月から1950年2月までの間に卸売物価指数は約21倍となるなど、経済がほぼ崩壊した中での創設だった[31][32]

一方で、国民政府は、遡る1948年(民国37年)8月19日に、新たに金円券の制度を導入した[10]。金円券の発行とともに、法幣などの旧通貨が回収されたが、交換率は、1金円券=300万元法幣だった[10][33]。これと同時に物価を8月19日の水準に固定し、民間保有の金、銀および外貨を9月30日までに金元券に交換する仕組みだった[10]

しかし、共産党軍の進出に伴う経済的不安により、国民政府は同年10月30日、凍結価格政策を全面的に放棄し、さらに11月11日には、金円券の価値を発行時の価値の5分の1に引き下げ、20億元だった発行限度も解除した[33]。しかしその後も金円券の信用は暴落し続けたので、国民政府は、予算の現物査定、銀貨の鋳造、金銀の取引の許可などを余儀なくされた[33]。翌1949年(民国38年)5月1日にはついに500万元券を発行した[33]。上海が共産党軍の手に落ちた5月下旬ごろからは、各地で金円券の流通不能現象が生じた。金円券の価値は発行から10か月で紙切れ同然となり、法幣の二の舞を演じた末に1949年7月、銀円券に代替されて流通が終わる[10][33]

その銀円券も華南地区が共産党の手に落ちたことで信用を失い、1949年10月の中華人民共和国建国宣言と同時に流通停止となり、中国大陸の通貨は人民元へと統一されることになった。

一方、台湾では銀円券が流通せず、台湾省政府主導で新たに発行される新台幣へ移行することになり、1949年6月15日から発行が開始されていた。


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