中秋節
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 18:43 UTC 版)
ベトナム
ベトナムでは、(ベトナム語:Tết Trung Thu / 節中秋*?)または(ベトナム語:Tết Trông trăng*?)と呼ぶ。これはクオイ(Cuội)の伝説が起源となっている。彼の妻はうっかり聖なるガジュマルの木に尿をして、木を冒涜してしまう。そしてその木の枝に座った時、木は成長を始め、とうとうクオイの妻を載せたまま月まで伸びてしまった。毎年中秋節の間、子供たちは灯籠を灯して行列を作り、クオイの妻に地上へ帰る道を教えている[14]。ベトナムの月餅は、無論丸いものもあるが、四角いものが多い。ベトナム由来のクオイの妻の物語の他に、嫦娥や登竜門の伝説も広く語られる。
他の重要な行事は、中秋節の前や最中に行われる獅子舞である。獅子舞は、アマチュアの子どもチームと訓練されたプロの両方によって踊られる。獅子舞のグループは通りで踊り、家を訪れては踊ってもいいか尋ねる。もし許可があれば、獅子が家の中に入って踊り、家のために幸運を祈る。家主は感謝を込めて、ご祝儀の金銭を渡す。
ベトナムでは他の地域と違い、中秋節は子供の為の祭りと見なされている[15]。古来ベトナムでは子供は純粋で無邪気なため、聖なる自然の世界と近いとされていた。子供達の近くに居ることは精霊や神とつながる道とされた[16]。当日の晩、獅子舞の獅子を子供に買い与え、子どもは友達とそれで遊ぶ。また子供たちは、鯉の灯籠を持って遊びに出かけるが、これは登竜門の故事にちなんでいる。
- ^ 王蘭蘭「中秋節起源与形成新論」『寧夏社会科学』第173巻、2012年、134-139頁。
- ^ 『東京夢華録』巻8・中秋
- ^ 呉自牧『夢粱録』巻4・中秋
- ^ 円仁『入唐求法巡礼行記』 巻2 。"(開成四年(839年)八月)十五日、寺家設餺飩餅食等、作八月十五日之節。斯節諸国未有、唯新羅国独有此節。老僧等語云:新羅国、昔与渤海相戦之時、以是日得勝矣。仍作節楽而喜儛、永代相続不息。設百種飲食、歌儛管絃、以昼続夜、三箇日便休。"。
- ^ 【【于老师说历史】中秋节是本土节日!细述中秋节的历史起源-哔哩哔哩】(中国語),Bilibili,2022年9月9日
- ^ 「清明端午中秋 各放假1天」『人民日报海外版』2007年12月17日 。
- ^ a b 「年中行事事典」p65 1958年5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- ^ 「十五夜」『日本大百科全書』小学館 。(コトバンク)
- ^ 「十五夜」各地で豊年祭 宮古新報、2017年10月5日
- ^ 野原のマストリヤー - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 野原のマストリャー (のばるのますとりゃー)、最新版 沖縄コンパクト事典、2003年3月、琉球新報社
- ^ 上野野原伝統のマストリャー 十五夜で豊年願い踊る 宮古新報、2017年10月6日
- ^ 台北市立圖書館-熱門主題:與月為伴 愉閲中秋 Archived 2013年9月21日, at the Wayback Machine.
- ^ familyculture.com tettrungthu
- ^ Lee, Jonathan H.X.; editors, Kathleen M. Nadeau, (2010). Encyclopedia of Asian American folklore and folklife. Santa Barbara, Calif.: ABC-CLIO. p. 1180. ISBN 0313350663
- ^ Cohen, Barbara (1995年10月1日). “Mid-Autumn Children's Festival”. 2013年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月10日閲覧。
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