ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝) ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)の概要

ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/09 09:19 UTC 版)

ルドルフ2世
Rudolf II
神聖ローマ皇帝
在位 1576年10月12日 - 1612年1月20日
戴冠式 1575年11月1日
別号 ハンガリー国王
ボヘミア国王
オーストリア大公
チロル伯

出生 1552年7月18日
神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーン
死去 1612年1月20日
神聖ローマ帝国
ボヘミア王国 プラハ
埋葬  
神聖ローマ帝国
ボヘミア王国 プラハ 聖ヴィート大聖堂
子女 一覧参照
家名 ハプスブルク家
王朝 ハプスブルク朝
父親 マクシミリアン2世
母親 マリア・フォン・シュパーニエン
サイン
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生涯

1561年、父マクシミリアン2世がプロテスタント寄りの姿勢に終始したため、ハプスブルク家の同族であるスペイン国王フェリペ2世が影響を危惧して、その意向によって幼少時をスペインの宮廷で過ごした(1563~1571)。イエズス会の影響を受けて厳格なカトリック教徒となった。

更に、フェリペ2世の宮廷では君主と家臣の区別を意図的に厳格にし、その間には目に見えぬ遮断壁が設けられていたが、ルドルフ2世はその雰囲気になじむ。[1]またスペイン仕込みの自尊心高く高圧的態度に父は驚いたが、スペイン出身の母は受容した。[2]

ルドルフ2世がいたスペイン宮廷は、丁度マドリードに首都が決まり(1561)、新たな宮殿の建設が進み(1564)、レパント沖の海戦(1571)までの時期である。

1576年に父の後を受けて神聖ローマ皇帝に即位する。父は宗教に対しては寛容策を採用することで皇帝権力の強化や国内の安定化を図っていたが、ルドルフ2世はスペイン宮殿での教育で敬虔なカトリックであったが、当初は父同様に寛容な態度で政治を執った。[2]

1577年、オランダにおいてレパント沖の海戦の出費によりフェリペ2世がオランダ軍に資金を十分に払えず反乱が起こったのを鎮めつつあったため、弟のマティアスをオランダに送る(その後の詳細は下記「弟マティアスとの関係」参照)。

1583年、祖父フェルディナンド1世が夏の宮殿を建てていた[3]プラハ城に本格的に首都を移す。この辺り(1578・1580・1581年)からメンタルヘルスが顕著に乱れ始める(1598年に悪化し、1606年辺りは躁鬱の波が酷くなる。遺伝性統合失調の一種とも)[4]

1593~1606年にかけてそれまで比較的平和だったオスマン帝国と戦争をする(Long Turkish war)。

この長いオスマン帝国との戦争が原因で国内情勢は一気に不安定化し、国内各地で反乱が勃発する。特にハンガリーは戦争における疲弊が強かったため反発は凄まじく(Bocskai uprising)、ルドルフ2世は穏健政策として1606年、同地域における信教の自由を認めた(Treaty of Vienna)。

しかしもともと政治能力に欠け、国政を重臣(メルヒオール・クレースルが主に)に任せきっていたルドルフ2世の政策は不徹底だったため、1608年にハンガリーで大規模な反乱が勃発した。ルドルフ2世は王位を放棄し、弟のマティアスにその王位を譲っている。翌1609年、ハンガリーのように反乱が起こることを恐れたルドルフ2世は、勅書ボヘミアにおける信仰の自由を認めたが、これもハンガリーと同様に政策が不徹底だったため、ルドルフ2世の死後、神聖ローマ帝国内において三十年戦争が勃発する一因を作り上げた。1611年にマティアスにボヘミア王を譲る(下記「弟マティアスとの関係」参照)。

1612年に59歳で死去し、他の君主位もマティアスが継いだ。

子女

生涯に一度も結婚しなかったが、漁色家として知られ、愛人カテリーナ・ストラドヴァ英語版との間に6人(男女3人ずつ[5])の庶子を儲けた[6][7][8]

  • ユリウス・カエザル英語版:精神疾患のため幽閉された[5]
  • マティアス:グラーツのイエズス会のもとで育てられ、1619年没[5]
  • カール:将校としてトルコ人との戦いに参加、1650年没[5]
  • アナ・ドロテアスペイン語版:マドリードで修道女[5]
  • エリーザベト:ウィーンで修道女[5]
  • カロリーナ:結婚した唯一の娘[5]



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