ルドルフ2世 (ライン宮中伯)とは? わかりやすく解説

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ルドルフ2世 (ライン宮中伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/10 12:59 UTC 版)

ルドルフ2世
Rudoif II.
ライン宮中伯
在位 1329年 - 1353年

出生 (1306-08-08) 1306年8月8日
神聖ローマ帝国
バイエルン公領、ヴォルフラーツハウゼン
死去 (1353-10-04) 1353年10月4日(47歳没)
神聖ローマ帝国
ライン宮中伯領、ノイシュタット
埋葬 神聖ローマ帝国
ライン宮中伯領、ノイシュタット、聖マリア修道院
配偶者 アンナ・フォン・ケルンテン
  マルガレーテ・ディ・シチリア
子女 アンナ
家名 プファルツ家
父親 上バイエルン公ライン宮中伯ルドルフ1世
母親 メヒティルト・フォン・ナッサウ
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ルドルフ2世(Rudoif II., 1306年8月8日 - 1353年10月4日)は、ライン宮中伯(在位:1329年 - 1353年)。上バイエルン公ライン宮中伯ルドルフ1世ローマ王アドルフの娘メヒティルトの3男。アドルフの弟、ループレヒト1世の兄。ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の甥。

生涯

父が叔父ルートヴィヒ4世との争いに敗れて追放、兄も名目上の君主のまま急死、甥のループレヒトは幼い為、後を継いだ。1329年パヴィアで和睦が成立、ルドルフ2世を含むルドルフ1世の子孫のライン宮中伯継承を認められた[1]。しかし、晩年は目を失明しノイシュタットに隠棲し、同地に聖マリア修道院を創建した[2]。1353年に死去し、聖マリア修道院に埋葬された。弟のループレヒト1世が後を継いだ。

家族

1328年ケルンテン公オットー3世の娘アンナ(1300年 - 1331年)と結婚し、1女をもうけた[2]

1348年シチリアフェデリーコ2世の娘マルガレーテ(1331年 - 1360年)と再婚した[2]。子供はいない。

脚注

  1. ^ Jakob Wille (1889), “Rudolf II. (Pfalzgraf bei Rhein)” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 29, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 551–554 
  2. ^ a b c Alois Schmid: Rudolf II.. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 22, Duncker & Humblot, Berlin 2005, ISBN 3-428-11203-2, S. 183 (電子テキスト版).
先代
アドルフ
ルートヴィヒ4世
ライン宮中伯
1329年 - 1353年
次代
ループレヒト1世



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