ヤンシー・ブラゾバン ヤンシー・ブラゾバンの概要

ヤンシー・ブラゾバン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 19:39 UTC 版)

ヤンシー・ブラゾバン
Yhency Brazoban
福岡ソフトバンクホークス時代(2011年9月28日 福岡 Yahoo! JAPAN ドームにて)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 (1980-06-11) 1980年6月11日(43歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
250 lb =約113.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 アマチュア・フリーエージェントとしてニューヨーク・ヤンキースと契約
初出場 MLB / 2004年8月5日
NPB / 2011年8月21日
最終出場 MLB / 2011年7月19日
NPB / 2011年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

発音表記ではイェンシー・ブラソバン(Yen-see BRAH-so-bahn)がより近く、ではなくと濁らない[1]

経歴

プロ入りとヤンキース傘下時代

1997年7月10日に、外野手としてニューヨーク・ヤンキースと契約を結んだ。

2002年途中に投手へ転向した。

ドジャース時代

2003年12月13日にケビン・ブラウンとのトレードでジェフ・ウィーバーらとともにロサンゼルス・ドジャースへ移籍。

2004年はAA級ジャクソンビルで開幕を迎え、AAA級ラスベガスを経て8月5日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。31試合に登板し6勝2敗、防御率2.48、WHIP1.22の成績を残し、ポストシーズンのロースターにも登録された。

2005年トミー・ジョン手術を受けたエリック・ガニエに代わりクローザーも務めたが、74試合の登板で4勝10敗21セーブ、防御率5.33、WHIP1.40の成績を喫する。

2006年4月14日に肘の靱帯損傷が発覚し、トミー・ジョン手術を受ける。

2007年5月23日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で復帰を果たすが、4試合に登板後、右肩痛が発覚し内視鏡手術を受け、シーズンを終える。

2008年は5月にメジャーで2試合に登板するも、AA級ジャクソンビルとAAA級ラスベガスでシーズンの大半を過ごす。シーズン終了後にノンテンダーFAとなりドジャースとマイナー契約を結ぶ。

2009年スプリングトレーニングに招待選手として参加したが、3月19日に解雇される。

メキシカンリーグ時代

2010年は、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルミナティトラン・オイラーズメキシコシティ・レッドデビルズでプレーした。

メッツ傘下時代

2010年8月15日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。傘下AAAのバッファロー・バイソンズで10試合に登板した。

レンジャーズ傘下時代

2010年12月16日にはテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。

2011年6月2日に解雇された。

ダイヤモンドバックス時代

2011年、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。29日のクリーブランド・インディアンス戦で3年ぶりにメジャーに復帰。6試合に登板したが、7月20日に40人枠から外れマイナーに降格した。

ソフトバンク時代

2011年7月30日に、福岡ソフトバンクホークスへ入団した[2]

同年のシーズン終了までの在籍となったが、リリーフのみ15試合の登板で防御率0.56の好成績を残し、チームの2年連続リーグ優勝と8年ぶりの日本一に貢献した(なおクライマックスシリーズ日本シリーズでは登板機会はなかった)。

メキシカンリーグ復帰

2012年は、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルラグナ・カウボーイズベラクルス・レッドイーグルスでプレーした。

2013年は、所属球団が無かった。

独立リーグ時代

2014年は、アトランティック・リーグブリッジポート・ブルーフィッシュに所属するも1試合の登板で退団した。その後アメリカン・アソシエーションのグランドプレーリー・エアーホッグスに入団するも5試合の出場で退団した。

選手としての特徴

メジャーでの通算与四球率4.39と制球力には欠けるものの、かつては荒れ球ながら最速99mph(約159km/h)の速球スライダーを武器としていた[3][4][5]。故障以後は平均球速93mph(約150km/h)の速球(フォーシーム、ツーシーム)とスライダー、チェンジアップで投球を組み立てるようになった[6]

福岡ソフトバンクホークス入団時の球団発表では、「平均150km/hの球威あるストレートに打者の手元で鋭く曲がるキレの良いスライダーとのコンビネーションで打者を打ち取るリリーフ経験豊富なパワーピッチャー[2]。」とコメントされた。


  1. ^ Yhency Brazobán Stats” (英語). Baseball Reference.com. 2023年8月12日閲覧。
  2. ^ a b ヤンシー・ブラゾバン選手の入団について 福岡ソフトバンクホークス公式サイト 2011年7月30日
  3. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、380頁頁。ISBN 4-331-51093-X 
  4. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、411頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  5. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、444頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  6. ^ Yhency Brazoban Pitch Fx


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