ミラノコレクションA.T.
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 03:54 UTC 版)
エピソード
- デビュー前に和術慧舟會に入門していたことがある。
- ユニット「イタリアン・コネクション」所属時代、プロレスに似つかわしくない華麗な入場曲(サンタナの『EUROPE』のアレンジ)とともに透明犬ミケーレ(透明であるため首輪しか見えない)とダンサーを引き連れ、モデルウォークを披露していた。実際モデルの仕事の経験がある。
- イタコネ時代はギミック上、先輩、後輩問わずリング上では敬語で話し、相手を見下すような言動を使用していた。T2P解散興行終了後にリング上で乱闘が起こり激昂してからは感情を露にするようになった。
- 白・赤・緑のイタリアンカラーのコスチュームだったが、新日本プロレス参戦後からは黒、赤、緑の配色に変更した。
- 練習生の時に、9人の仲間と汗を流した。その時から、リーダー的存在で回りを先導した。
- 闘龍門JAPAN青森大会において、メインイベントの3WAYタッグマッチ勝利後のマイクで、弘前大学卒業であることを明かしている。ただし引退後の東京スポーツのインタビューに掲載されたプロフィールでは「弘前大を1年で辞めてアニマル浜口ジムに入門」とされており[1]、弘前大を卒業しているかどうか定かではない部分がある。
- デビュー以前にウルティモ・ドラゴンから「チ●ポリオ・シャブリャーノ」という学生プロレスばりのリングネームを提案されたが、猛烈に拒否した(ウルティモ曰く「ナメられるな!」という意味合いからの命名だったらしい)。
- 体操選手並みの体の柔らかさを誇り、相手のジャンピングショルダーを開脚前屈運動で回避するシーンは見物である。
- KAIENTAI-DOJOの房総ボーイ雷斗(農業ボーイ雷斗)とは小中学校の同級生であり。雷斗の家にあったトランポリンでプロレスごっこをしていた仲だった。
- ^ a b c 東京スポーツ・2010年3月11日付 6面
- ^ 漁師JJ (2010年3月15日). “ミラノコレクションA.T.改め…”. 多重ロマンチック. 2021年4月3日閲覧。
- ^ ミラノコレクションA.T.選手が引退を発表 - 新日本プロレス・2010年1月18日
- ^ ミラノ選手の引退会見後の囲みコメント - 新日本プロレス・2010年1月18日
- ^ “スターダム新体制スタート直前 戦略発表 記者会見&調印式、相羽あいなさんが“スペシャルサポーター”に就任!怒涛のプロモーション展開を大公開!”. 時事ドットコム. (2019年11月28日) 2019年12月18日閲覧。
- ^ “スペシャルコーチ・ミラノコレクションA.T.さんがスターダム選手との練習を初披露!”. スターダム✪STARDOM. 2024年4月15日閲覧。
- ^ “【女子プロレス】武道館大会大成功…コーチ・ミラノが語るスターダムが変わった理由 | BBMスポーツ | ベースボール・マガジン社”. www.bbm-japan.com. 2024年4月15日閲覧。
- ^ “内田理央も興奮! ミラノ式新日本プロレス観戦マニュアル【多重ロマンチック的ぼくらのプロレス】”. boku-pro.com (2017年9月9日). 2019年2月1日閲覧。
- ^ “下田美馬がコーチを務める『豆腐プロレス』が囲み取材に登場!「プロレス界のミルコ・クロコップになりたい」”. バトル・ニュース (コラボ総研). (2017年1月13日) 2017年1月14日閲覧。
固有名詞の分類
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