マリーア・ベアトリーチェ・ダズブルゴ=エステ マリーア・ベアトリーチェ・ダズブルゴ=エステの概要

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マリーア・ベアトリーチェ・ダズブルゴ=エステ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/10 14:48 UTC 版)

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マリーア・ベアトリーチェ
Maria Beatrice
オーストリア=エステ家
全名
出生 1824年2月13日
モデナ公国 モデナ
死去 (1906-03-18) 1906年3月18日(82歳没)
オーストリア=ハンガリー帝国 グラーツ
配偶者 フアン・カルロス・デ・ボルボン
子女 カルロス・マリア
アルフォンソ・カルロス
父親 フランチェスコ4世
母親 マリーア・ベアトリーチェ・ディ・サヴォイア
宗教 キリスト教カトリック教会
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ドイツ語名はマリア・ベアトリクス・フォン・エスターライヒ=エステMaria Beatrix von Österreich-Este)。

生涯

モデナ公フランチェスコ4世とその妻でサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の娘であるマリーア・ベアトリーチェの間の次女、末娘として生まれた。1847年2月6日、スペインの王位請求者モリナ伯カルロスの次男モンティソン伯フアンと結婚した。夫は1860年にカルリスタ王位請求者となり、1883年にはフランスのレジティミスト王位請求者の地位を受け継いだ。夫妻は新婚当初はモデナで暮らしたが、1848年革命が起きるとイギリスに移住した。

マリーア・ベアトリーチェは極めて保守的な思想の持ち主であり、やがて自由主義者の夫モンティソン伯爵とは深刻な不和が生じた。夫妻は1850年には別居し、マリーア・ベアトリーチェはモデナに帰ったが、1860年にはモデナ公爵家とともにイタリアを追放される憂き目を見た。息子たちが成人すると、マリーア・ベアトリーチェは1872年にグラーツカルメル会修道院に入り、「マリア・イグナティア」修道女として余生を送った。

子女

夫モンティソン伯爵との間に息子を2人もうけた[1][2]

系譜

マリーア・ベアトリーチェ 父:
フランチェスコ4世 (モデナ公) [1]
祖父:
フェルディナント
曽祖父:
フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)
曽祖母:
マリア・テレジア
祖母:
マリーア・ベアトリーチェ
曽祖父:
エルコレ3世・デステ
曽祖母:
マリーア・テレーザ英語版
母:
マリーア・ベアトリーチェ
祖父:
ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世
曽祖父:
ヴィットーリオ・アメデーオ3世
曽祖母:
マリーア・アントニア
(スペイン王女)
祖母:
マリーア・テレーザ [2]
曽祖父:
フェルディナント
曽祖母:
マリーア・ベアトリーチェ
[1]は[2]の弟で、2人の妹にオーストリア皇帝フランツ1世の3番目の妃になったマリア・ルドヴィカがいる。

脚注


  1. ^ Darryl Lundy (2003年5月10日). “Maria Beatrix Erzherzogin von Österreich-Este”. ThePeerage.com. 2019年2月10日閲覧。
  2. ^ Paul Theroff. “AUSTRIA: House of Habsburg-Lothringen”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2019年2月10日閲覧。


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