ボクシング日本王者一覧
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出典
- ボクシング・マガジン編集部編 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ベースボール・マガジン社、2004年3月1日発行 ISBN 4-583-03784-8
参考文献
関連項目
- ^ 日倶が日比谷公会堂で主催したフライ級王者決定戦で勝利。日倶が認定するフライ級王者になる。
- ^ a b c d e f 日倶認定。
- ^ 日倶が日本王者を決定したことに対抗して、帝拳が独自にフライ級王者を認定。
- ^ 櫛橋利光は緑色敢闘旗という戦時下にあったタイトルを獲得している。正確には、「緑色」が「フライ級」を意味し、フライ級という単語は使われなかった。
- ^ 戦争の激化によってタイトルは消滅した。
- ^ 1926年に日倶認定のバンタム級王者になった。防衛戦の有無は不明。
- ^ 選手権で優勝したことで、大日拳からバンタム級王者に認定される。
- ^ 1928年11月4日に大日拳・帝拳認定のバンタム級王者になる。防衛回数は不明。
- ^ 第3回全日本選手権で優勝したことで、大日拳・帝拳認定のバンタム級王者になる。
- ^ 日仏対抗戦バンタム級代表決定トーナメントの決勝戦で、松岡福雄と決着がつかず両者共に日本バンタム級王者に認定される。
- ^ 負傷のため、1933年6月5日の日仏対抗戦には出場できず。後日ルール・ユーグと対戦。
- ^ 日仏対抗戦バンタム級代表決定トーナメントの決勝戦で、服部英明と決着がつかず両者共に日本バンタム級王者に認定される。
- ^ 負傷のため、1933年6月5日の日仏対抗戦には出場できず。後日エミール・プラドネルと対戦。
- ^ 1934年12月25日に全日本選手権バンタム級で優勝し認定。
- ^ 1942年に初代紅色敢闘旗王者決定戦で堀口基治を下し初代王者になる。紅色という単語はバンタム級を意味していたはずだが、なぜか後にフェザー級に変更されている。
- ^ 紅色敢闘旗獲得。
- ^ a b 帝拳認定。
- ^ a b c d 大日拳認定。
- ^ a b c d e f g h 大日拳・帝拳認定。
- ^ a b c 白色敢闘旗獲得。
- ^ 日本ライト級王座決定戦勝利により日倶が認定。
- ^ 青色敢闘旗獲得。
- ^ 日仏対抗戦ウェルター級代表決定トーナメントの決勝戦で、臼田金太郎と引き分け、両者共に日本同級王者に認定される。
- ^ 日仏対抗戦ウェルター級代表決定トーナメントの決勝戦で、野口進と引き分け、両者共に日本同級王者に認定される。
- ^ 競技人口が薄いことから、タイトルはJBCによるコミッショナー預かり。
- ^ a b c d JWBC解散によりタイトル消滅。
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