ペナルティ (お笑いコンビ) 経歴

ペナルティ (お笑いコンビ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 02:21 UTC 版)

経歴

当初は2人とも本名で活動していたが、2003年頃から愛称である「ヒデ」「ワッキー」を芸名としている。コンビ結成は1994年で、銀座7丁目劇場のオーディションに合格してデビュー。

長い下積みを経て、『爆笑オンエアバトル』(NHK)や『ノブナガ』(CBCテレビ)の“地名しりとり”への出演などで大きく知名度を上げ、『めちゃ×2イケてるッ!』のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」への出演がきっかけでブレイクを果たす。ワッキー曰く「僕らをここまでさせてくれたのは『めちゃイケ』であり、岡村さんがおもろいと言ってくれたからこの地位まで来ることができた。ナイナイさんは師匠みたいなもんだ」(『DOORS 2007』より)。

芸風は主にコントで、当初はヒデがボケでワッキーがツッコミであったが周囲の助言により役割を交代した。コントではワッキーが濃いめの変人キャラに扮し、一般人的立場のヒデが振り回されながらもツッコむパターンが多い。ザ・ドリフターズ、特に志村けんのコントに影響を受けており[1]東京吉本初期のコント芸の潮流を作った。キングオブコントでは第1回(2008年)、第2回(2009年)と2年連続で準決勝まで進出している。

なお、漫才を演じる機会はほとんどないものの、M-1グランプリ第1回大会(2001年)においては準決勝進出経験がある[2][注釈 1]

下積み時代、浦和レッズ情報番組『REDS TV GGR』(テレビ埼玉)の準レギュラーだったことからコンビ揃って大のレッズサポーター。スタジアムでの仕事では浦和のユニフォームを下に着込むほどだが、新潟スタジアムで浦和のユニフォームを纏ってピッチへ登場した際、アルビレックス新潟のサポーターからブーイングの嵐を浴び土下座しながら謝罪した。

互いにサッカー好きであるが故に、他チームのイベントに参加することも多い。2010年にはジュビロ磐田の開幕戦にワッキーが登場したり、湘南ベルマーレのホームゲームにて「ペナルティデー」[注釈 2]を開催したりしている。

2006年リーガ・エスパニョーラを観戦するためスペインマジョルカに行き、その帰りでFCバルセロナのチャーター機へ搭乗した際にロナウジーニョから「一緒に写真を撮ろうか」と提案されたにも拘らず、極度の緊張から断ってしまった。


注釈

  1. ^ 2002年の第2回、2003年の第3回大会では3回戦進出に終わった。
  2. ^ 湘南のオフィシャルサプライヤーがペナルティであるため。
  3. ^ あと1回出場さえしていれば、仮にオフエアでも勝率.800なのでゴールドバトラーに認定されていた。
  4. ^ オフエアはこの回以外では2002年11月16日放送回でも経験しているが、409KBでボール1個差だった(5位は413KBを記録した磁石)。
  5. ^ この年のセミファイナルでは842KBで敗退、800KB台で敗退したのは彼らが初めてとなる。

出典






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