ブルームズベリー・グループ 概要

ブルームズベリー・グループ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/30 14:56 UTC 版)

概要

もともとは、姉妹であるヴァネッサ・ベルヴァージニア・ウルフと、4人のケンブリッジ大学生によって結成された非公式な会合がきっかけであり、メンバーたちの卒業後もこの集いは存続した。ダンカン・グラントを除く全ての男性メンバーはケンブリッジ大学で教育を受けている。

1910年のドレッドノートを舞台とした「偽エチオピア皇帝事件」にはメンバーの多くが参加したが非国民という悪名を負う羽目となり、また彼らのストレートな平和主義左派自由主義の信念は戦時中において非難を引き起こすことがあった。第一次世界大戦後その組織統一は弱まり、意見や信念もばらばらなものとなってしまった。

ブルームズベリー・グループの意見や信念は第二次世界大戦を通して話題を呼び、広く非難されたが、次第に主流となりそれは終戦まで続いた。ブルームズベリー・グループのメンバーであった経済学者ジョン・メイナード・ケインズの著作は経済学の主要な理論となり、作家ヴァージニア・ウルフの作品は広く読まれ、そのフェミニズムの思想は時代を超えて影響を及ぼしている。他には伝記作家リットン・ストレイチー、画家のロジャー・フライ、作家のデイヴィッド・ガーネットE・M・フォースターがいる。また早くから同性愛に理解を示していた。イギリスの哲学者で熱心な反戦活動家であったバートランド・ラッセルも、このグループの一員と見なされることがある[1]

ブルームズベリー・グループは組織一丸となっての活動成果よりも個々人の芸術的な活動成果が主に評価されているが、20世紀の終わりが見えた頃から、組織内での同性愛やオープンマリッジなどの複雑な人間関係が、学問的注目を集め研究対象となっている。


  1. ^ 中村久司『観光コースでないロンドン イギリス2000年の歴史を歩く』高文研、2014年、220頁。ISBN 978-4-87498-548-9 
  2. ^ Avery, p. 33.


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英語訳最初の英訳は、おそらく末松謙澄によるものであった。末松がイギリスのケンブリッジにいたときになされたもので1882年に出版された。抄訳であることに加えて、翻訳には限界があり、当時はほとんど注目されなかった。今日では研究者のあいだで見直され始めている。20世紀に入り、アーサー・ウェイリーにより『源氏物語』は西洋世界に本格的に紹介された。1925年に「桐壺」から「葵」までを収めた第1巻が出版され、1933年に「宿木」から「夢浮橋」までを収めた第6巻が出て完結した。ウェイリー訳は、各国で広く重訳され、現代日本語で再訳された『ウェイリー版 源氏物語』は、 各・全4巻でおよびがある。ウェイリー訳は、当時の文学界にあわせた詩的で華麗な文体を用いている。日本文学研究者のエドワード・サイデンステッカーの訳は、ウェイリー訳は「傑作」だと敬意を表し、常に傍らに置いていた。サイデンスデッカー訳は第二次世界大戦後の文学的傾向に合わせて、文章の装飾を落とし、原文に近づける努力がなされている。ロイヤル・タイラーの英訳は、より一層この傾向を強め、豊富な注を入れ、学問的な精確さを持っている。ほかに重要な英訳は、抄訳版だがヘレン・クレイグ・マッカラによるものがある。フランス語訳
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