ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミール (クラナッハの絵画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/22 08:54 UTC 版)
英語: Margrave Casimir of Brandenburg-Kulmbach ドイツ語: Markgraf Casimir von Brandenburg - Kulmbach | |
作者 | ルーカス・クラナッハ (父) |
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製作年 | 1522年、または1532年 |
種類 | ブナ板上に油彩 |
寸法 | 37.3 cm × 28.5 cm (14.7 in × 11.2 in) |
所蔵 | 美術史美術館、ウィーン |
作品
この作品以外にも、2点のカジミールの肖像画がクラナッハの工房ないし追随者によって描かれているが、そこには人物の名前が明記されており、本作の人物がカジミールであることに疑問の余地はない[2]。彼は、ドイツのバイエルン州北部に位置した小さな辺境伯領を弟のゲオルク (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯) (1484-1543年) とともに統治していた。本作を含む3点のカジミールの肖像には相違点があるにせよ、すべて顔の向きや大きさにおいて一致しており、3点ともが同じ原型にもとづいて制作されたものであることを示唆する[2]。
最近、本作の支持体となっている板が調査され、1524年以降に伐り出された木材であることがわかった。ちなみにインディアナポリス美術館にあるクラナッハの『キリストの磔刑』は本作と同一の木材が使用され、1532年の年記が付されている。一方、本作に記されている年記の3番目の数字は消えてしまっているが、インディアナポリスの作品を考慮に入れれば、これまで考えられてきた「2」ではなく、「3」であったとみなすべきであろう[2]。
ただ、ハプスブルク家に仕えたカジミールは、弟のゲオルク敬虔伯とは異なって宗教改革に加わらなかった。彼は、むしろ反対の立場を取った人物である。したがって、宗教改革が本格化していた1532年に、いったい誰が1527年に死亡し、故人となっていたカジミールの肖像に興味を示し、それを依頼したのかという問いが残る[2]。
参考文献
- 『クラーナハ展500年後の誘惑』、国立西洋美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、朝日新聞社、2016年刊行 ISBN 978-4-906908-18-9
外部リンク
- 1 ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミール (クラナッハの絵画)とは
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