フランク安田 没後の顕彰

フランク安田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 10:05 UTC 版)

没後の顕彰

1989年5月8日に功績が認められアラスカ州より表彰を受ける。

アラスカ州のブルックス山脈(北極圏の扉国立公園の一部)の山名の一つに「ヤスダマウンテン」と名付けられた。

ビーバー村ではフランク安田の故郷宮城県石巻市と交流があり、ビーバー村の学校の子供や教師らを石巻市に招待したり、2008年にフランク安田没後50周年を偲び「メモリアルポトラッチ」も行われた際も石巻市から何人かが参加している。

2011年3月11日に東日本大震災でフランク安田の故郷石巻市が津波に襲われた。石巻市でトモダチ作戦を行っていた、アメリカ軍が石巻市立湊小学校付近で泥塗れの、大理石で造られたフランク安田の記念碑を発見した[1]。記念碑は津波によって、土台から落ちて多少の破損はしていたものの、ほぼ壊れずに助かった。この記念碑は、2008年に行われたフランク安田没後50周年の時、ビーバー村のクルックシャンク学校の子供や教師らが石巻市を訪れた際に、石巻市立湊小学校の生徒達との交流の記念によって造られたものである。記念碑を発見したアメリカ海兵隊のクレイグ・コゼニスキー大佐は、好奇心から記念碑のフランク安田の名に付いて調べて、ウェブサイトからフェアバンクスにあるアラスカ鉱業殿堂宛てに震災で発見した、フランク安田の記念碑やビーバー村に付いて尋ねようと電子メールを送っている。それを見た、アラスカ鉱業殿堂のCEOであるトム・バンゼンがフランク安田に詳しい歴史家ロン・イノウエに連絡を取り、イノウエを通してビーバー村のクルックシャンク学校の教師チャーリー・フィッシャーに連絡された。クルックシャンク学校の教師フィッシャーや生徒の子供達は友達として見なす湊小学校の生徒達に向けて励ましや支援のメッセージを送った。


  1. ^ After tsunami's devastation, monument to Alaskan Frank Yasuda survives[1]


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