ピーター・フォンダ ピーター・フォンダの概要

ピーター・フォンダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 23:25 UTC 版)

Peter Fonda
ピーター・フォンダ
2009年宣伝写真
本名 Peter Henry Fonda
生年月日 (1940-02-23) 1940年2月23日
没年月日 (2019-08-16) 2019年8月16日(79歳没)
出生地 ニューヨーク州ニューヨーク
死没地 カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国
職業 俳優
ジャンル 映画
活動期間 1962年 - 2019年
配偶者 Susan Brewer (1961年 - 1972年)
Portia Rebecca Crockett (1975年 - )
主な作品
イージー・ライダー』(1969年)
木洩れ日の中で』(1997年)
 
受賞
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演男優賞
1997年木洩れ日の中で
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1997年『木洩れ日の中で』
助演男優賞(シリーズ・ミニシリーズ・テレビ映画部門)
2000年『The Passion of Ayn Rand』
その他の賞
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略歴

幼い頃、母親の自殺が原因で父ヘンリー・フォンダと不和となり、生涯しこりを残したといわれている。大学時代から演劇活動を本格化させ、卒業と同時にブロードウェイに進出する。1963年『タミーとドクター』で映画デビューを果たし、清純で一本気な青年役のキャラクターで売り出すも、商業主義の作品に嫌悪感を抱く。さらに、自らが想い描く俳優像とは異なるエリート青年役が続いたことに疲弊し、次第にドラッグに耽溺するようになった。そんなピーターの様子に興味を抱いたロジャー・コーマンは、1966年に自らが率いるアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(AIP)製作で実在するヘルズ・エンジェルスの生態を描いた低予算映画『ザ・ワイルド・エンジェルス』(共演ナンシー・シナトラブルース・ダーン)に主演させる。当初は西海岸のみのヒットだったものの、次第に全米規模の大ヒットへとつながった。翌67年にピーターは『白昼の幻想』(共演はアクターズ・スタジオの創設者リー・ストラスバーグの娘であるスーザン・ストラスバーグ)でデニス・ホッパージャック・ニコルソンと出会って意気投合し、これが映画『イージー・ライダー』への布石となる。

1962年デビュー当時、パティ・マコーマックとの宣伝写真

1960年代後半、映画界に巻き起こったアメリカン・ニューシネマ(ニュー・ハリウッド)のブームに乗って、自らも映画製作会社を立ち上げ、低予算映画をいくつも量産した。そのうちの一つがインディーズ・ムービーのバイブルとも呼ばれ、カルト的な支持を得ることとなってゆく、1969年の『イージー・ライダー』であった。同作は『俺たちに明日はない』と並んで、ニュー・シネマの代表作品と見られた。彼はこの成功によって一躍アメリカン・ニューシネマの旗手となった。なお、デニス・ホッパーは後に共和党支持者になっている。

71年には『さすらいのカウボーイ』73年には『アイダホ・トランスファー』に出演した。そして74年には人気作品『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』を発表した。日本では70年代後半以降は注目されなくなってしまったが、アメリカでは地道に俳優活動を継続した。90年代は、娘のブリジットが女優として活躍した。

1990年代末頃にはフォンダはカムバックした俳優と見られるようになった。1997年木洩れ日の中で』での老養蜂家を演じてゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門) を受賞。アカデミー主演男優賞にもノミネートされ、受賞こそならなかったが久々に賞賛を浴びた。ちなみにフォンダを破りオスカーを手にしたのが、奇しくもかつての旧友であり『イージー・ライダー』でともにかけ上がった仲のジャック・ニコルソン(『恋愛小説家』)であった。ニコルソンはスピーチで「昔のバイク仲間のフォンダ」と声をかけ、フォンダもこれに応えたというエピソードが知られる。

晩年もテレビ、映画を中心に出演した。俳優としてだけでなくプロデューサー、脚本家、監督として多方面に活躍をし続ける一方で、「華美なハリウッド嫌い」をあくまで貫くように、モンタナ州の田舎でひっそりと暮らしていた。

父ヘンリーとの共演作に自ら監督した1979年『グランドキャニオンの黄金』、姉ジェーンとは1967年のオムニバスのヨーロッパ映画『世にも怪奇な物語』、娘ブリジットとは1993年『恋愛の法則』でそれぞれ共演している他、日本映画にも主演している。

2019年8月16日、カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で肺がんによる呼吸不全のため死去した[1]

人物と思想

映画『イージー・ライダー』を再現したバイクを運転(2009年)

リベラルな姿勢は、1960年代当時から変わらなかった。2011年にフォンダはティム・ロビンスとともに『ビッグ・フィックス』というドキュメンタリー映画を制作した。この映画はディープ・ウォーター・ホライズンにおける油流出事件についてBPの責任を追及する作品だった。ピーター・フォンダはバラク・オバマ大統領に手紙も書いている[2]。ティム・ロビンスはスーザン・サランドンらとともに、俳優の中でも特にリベラル、左派と目されている俳優である。またドナルド・トランプによるメキシコ国境における母親と子供を引き離す鎖国政策を激しく非難した。

趣味はバイクで、若い頃には自らバイクを作ってしまったという。イージー・ライダーではハーレー・ダヴィッドソンに乗車した。日本のバイクでは北米・欧州向けモデルの1000ccバイクだけが欲しいと答えていた(『だいじょうぶマイ・フレンド』公開前の雑誌インタビューより)。また、スイスの時計スウォッチのコレクターでもある。


  1. ^ 米俳優ピーター・フォンダさん死去、79歳 『イージー・ライダー』など”. AFPBB News (2019年8月17日). 2019年8月17日閲覧。
  2. ^ Peter Fonda Bashes President Obama in Cannes”. 2020年4月3日閲覧。


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