ドルイド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 02:50 UTC 版)
ドルイドは宗教的指導のほか、政治的指導、公私の争い事の調停と、ケルト社会に重要な役割を果たしていたとされる。
カエサルの『ガリア戦記』 (紀元前58年 - 51年) によれば、ドルイドの社会的影響力はかなり大きかったようである。争い事の調停あるいは裁決をし、必要があれば当事者に賠償や罰金を課した。ドルイドの裁決を不服とした者は、社会的地位や信用を失った。このほか、ドルイドは兵役や納税を免除される特権的地位にあった。
ドルイドの宗教上の特徴の一つは、森や木々との関係である。プリニウスの『博物誌』によると、ドルイドが珍重したのはヤドリギの中でもロブル(オーク)に寄生した物だけで、彼らはオークの森を聖なる地とした。彼らはヤドリギを飲み物にするとどんな動物も多産となり、あらゆる毒の解毒剤になると信じた[1][2]。
近代になって発掘された古代ガリアの奉納物には、オークで作られた物が多い。また、ドルイドが四葉のクローバーなどの希少な植物を崇拝していたということが伝えられている。なお、神木の概念自体はケルト人に留まらず世界中に存在する。
比較宗教学においてドルイドは、古代ローマのフラミネスや古代インドのブラーフマナ(婆羅門)と関連付けられている[3]。
古典文献の取扱い
ケルト社会は本来無文字文化であったが、他文明との交流によって文字を獲得した。ガリアのケルト人はラテン文字[4]とギリシア文字[5][6]を使用していた。またブリタンニアにおいて、ローマ帝国の入植以前にパピルスを輸入した記録があり、ケルト知識層が文字を書き記していたことが窺える。アイルランドのケルトはガリアやブリタンニアには遅れるものの、4世紀末にオガム文字を使用していたと思われる。ドルイドはケルト社会における知識層なので、当然識字能力があった[7]。
しかし教義について、ドルイドは文字で記録せず口伝伝承を行った。そのため、ドルイドについての記録はケルトと文化を共有しないギリシアやローマ帝国、修道士たちの「外からの目」によるものしか残されていない。歴史の一部としてドルイドを扱う場合、こうした文献の記述を無批判に受け入れることはできない。
語源
語源的には「ドルイド」はdru-vid-sと分解され、vidは「知る」「知恵」などを意味する[8][9]。druについてはオークの木を意味するという見解と強意の接頭辞とする見解とがある。前者は1世紀の博物誌にも記されている[10]ほど歴史のある見解であり、少なくとも1968年には主流派を成していた[11]。が、アイルランドにオーク崇拝が見られないこと[12][13]、ドルイドの職能はオークの木にまつわる祭祀に限らず広範に亘ったこと[14]などの指摘により、現在は後者が有力視されている[15]。
- ^ もっとも、こうしたドルイドの信仰をプリニウスは完全に迷信と見做していた。
- ^ プリニウス 2009, p. 290.
- ^ 中沢 1997, pp. 322–323.
- ^ 「ワットモウによれば『それまで書字は一般的な行為ではなかったが、ラテン語の流入とともに、自由に使える技術となった。それゆえに曲りなりにも文字が書きはじめられたとき、ほとんど例外なしに、ラテン語とラテン文字が使われることになった』のである。」(ピゴット 2000, pp. 53–54)
- ^ 「またガリア南部からは、ギリシア文字で書かれた多数の碑文が発見されている。」(ピゴット 2000, p. 54)
- ^ 「スイスで出土した前1世紀の鉄の剣には『コリシオス』というケルトの人名がギリシア文字で刻印されていたし、カエサルも曖昧な記述ながらガリアの知識層がギリシアのアルファベットにある程度通じていたことを伝えている。」(ピゴット 2000, p. 99)
- ^ 例えばコリニーの暦はドルイドの手によるものとされている。
- ^ サンスクリットのvedaと同源である(鶴岡 1999, p. 79)
- ^ ルドルフ・トゥールナイゼンによる(中沢 1997, p. 270)
- ^ 「そのために(ロブルを表すドリュスという)ギリシア語の言い換えから、ドルイドと称されたのではないか、と推測できるほどである。」(プリニウス 2009, p. 290)
- ^ 「現在(原著の発行された1968年)のところ、プリニウスなどの古典古代の識者が指摘したのと同様、ギリシア語の『樫』(drus)と関係があるとみなす傾向にある。」(ピゴット 2000, p. 182)
- ^ ヤン・デ・フリースによる(中沢 1997, p. 301)
- ^ アイルランドにおける樹木崇拝の対象はイチイ、ナナカマド、ハシバミなどであった(中沢 1997, p. 301)。
- ^ フランソワズ・ル・ルーとクリスチャン・J・ギョンバールによる(中沢 1997, p. 321)
- ^ 「現在では強意の接頭辞とする説のほうが有力である。」(中央大学人文科学研究所 1991, p. 19)
「現在では『多く』を意味する〈強意の接頭語〉と解釈する説が有力である。」(木村 2012, p. 132) - ^ 原 2007, p. 137.
- ^ グリーンは『ガリア戦記』においてガリアの知識層を指してサケルドスという単語が使われたとしている(グリーン 2001, p. 67)が、鶴岡は「古典古代のドルイドの記述のうちにドルイドを神官や僧侶-ギリシア語でἱερενςあるいはラテン語でsaerdos-と定義しているものはない。」(中沢 1997, p. 16)としている
- ^ 宗教にまつわる高官の称号でありガリアの四つの碑文に登場する。『ガリア戦記』8-38にカルヌテス族のグトゥアテルが登場するがこれを人名として解釈するのは誤りである(マイヤー 2001, p. 78)。
CIL XIII, 1577 adlector(?)] ferrariar(um) gutuater praefectus colon(iae) [3] / [3] qui antequam hic quiesco liberos meos [3] / [3] utrosq(ue) vidi Nonn(ium) Ferocem flam(inem) IIvirum bis [
CIL XIII, 2585 C(ai) Sulp(ici) M(arci) fil(ii) Galli omnibus / honoribus apud suos func(ti) / IIvir(i) q(uinquennalis) flaminis Aug(usalis) P[3]OGEN(?) / dei Moltini gutuatri(?) Mart(is) / sevir cui ordo quod esset civ(is) / optimus et innocentissimus / statuas publ(icas) ponendas decrev(it) // ]DO[3]VSVA[3]/diorata Mato Antullus / Mutilus Combuocovati f(ilius) / ex v(oto) s(olvit) // Iovi et Aug(usto) / sacrum
CIL XIII, 11225 Aug(usto) sacr(um) / deo Anvallo / Norbaneius Thallus gutuater / v(otum) s(olvit) l(ibens) m(erito)
CIL XIII, 11226 Aug(usto) sacr(um) / deo Anvallo / C(aius) Secund(ius) Vi/talis Appa / gutuater / d(e) s(uo) p(osuit) ex voto - ^ "semnotheoi" 月川はその意味を「尊き神々」と解説している。(中沢 1997, p. 329)
「そしてケルト人やガラタイ(ゴール)人たちのところにはドリュイデスないしはセノムテオスと呼ばれる人たちがいたのであり、」(ラエルティオス 1984, p. 13) - ^ 「あらゆるガリア人のうち格別に敬われている人々は、一般に三つの階級がある。バルドイと預言者とドリュイダイである」(ストラボン『地理誌』4.4)(中沢 1997, p. 342)
「この地域一帯では、人々は次第に文明化され、高度な学問の探求が盛んだが、それはバルディ〔バード〕とエウハゲス〔預言者〕とドリュシダエ〔ドルイド〕が創始したものである。」(アンミアヌス・マルケリヌス『ローマ史』15.9.8)(中沢 1997, p. 345) - ^ マッカーナ 1991, p. 14.
- ^ 「『ウァテス』は占いの担当者で,したがって非常な権力を持っていた.ドルイド僧と同様の宗教上の権限を有し,かつ『物理』に関する知識があるとみなす学者もいるくらいなので、その権勢の程がしのばれる.」(デュヴァル 2001, p. 627)
- ^ 中央大学人文科学研究所 1991, p. 30。これを述べた月川は「思いつき」であると冒頭で断りを入れてはいる(中央大学人文科学研究所 1991, p. 19)
- ^ 失われたポセイドニオスの著書に、ドルイドが行ったとされる戦の仲裁にバードが関わっていたとする記述があったと考えられる(中央大学人文科学研究所 1991, p. 30)
- ^ グリーン 2000, p. 129.
- ^ グリーンはストラボンの『地理学』を引用し、喉を切り裂いた人間の傷口から流れる血を大釜に集めようとしている場面であるという解釈も可能であることを示している(グリーン 2000, p. 118)。
- ^ 『ブルターニュのパルドン祭り --日本民俗学のフランス調査』新谷尚紀 関沢まゆみ 悠書館 2008 p.284
- 1 ドルイドとは
- 2 ドルイドの概要
- 3 ガリアのドルイド
- 4 関連項目
- 5 参考文献
- 6 関連書籍
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