ドメニキーノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 00:44 UTC 版)
ドメニキーノ Domenichino | |
---|---|
誕生日 | 1581年10月21日 |
出生地 | イタリア,ボローニャ |
死没年 | 1641年4月15日 |
死没地 | イタリア,ナポリ |
運動・動向 | ボローニャ派 |
生涯
ドメニキーノは靴屋の息子としてボローニャに生まれた。最初、故郷でデニス・カルヴァルト(Denis Calvaert)の弟子となったが、まもなくそこを出て、カラッチ兄弟のアカデミア・デリ・インカミナーティに入った。1601年には、ボローニャからローマに移った。アンニーバレ・カラッチの弟子たちの中でも、フランチェスコ・アルバーニ(Francesco Albani)やグイド・レーニといった先輩たち、ジョヴァンニ・ランフランコといった終生のライバルたちと並ぶ、優秀な弟子の1人だった。ドメニキーノ(小さいドメニコ)というあだ名は、その身長からつけられたものである。
ローマのファルネーゼ宮にあるアンニーバレ・カラッチの連作フレスコ画『神々の愛』の中の『処女と一角獣』(1602年頃)を描いたのはドメニキーノであろうと言われている。ファルネーゼ宮ではさらに、ロッジア・デル・ジャルディーノの3枚の神話を題材にした風景画を描いた。モンシニョール・ジョヴァンニ・バッティスタ・アグッチ(ピエトロ・アルドブランディーニ枢機卿(Pietro Aldobrandini)と、後に教皇グレゴリウス15世の家令(Majordomo))とその兄弟ジローラモ・アグッチ枢機卿の援助を得て、ドメニキーノは、ローマからそう遠くないグロッタフェッラータにある、オドアルド1世が名義司教を勤める、サンタ・マリア・ディ・グロッタフェッラータ大修道院の中世の聖堂の中にあるサンティッシミ・フォンダトーリ礼拝堂の仕事を得た(1608年 - 1610年)。さらに、ローマのサントノフリオ教会(Sant'Onofrio)のフレスコ画や、アルバーニがフレスコ画を手掛けた(1606年 - 1607年)マッテイ宮(Palazzo Mattei)と、バッサーノ・ディ・スートリ(現バッサーノ・ロマーノ)のヴィッラ・オデスカルキの装飾に参加した。さらにレーニと一緒に、サンタンドレア祈祷堂とサン・グレゴーリオ・マーニョでのフレスコ画を描いた。サン・グレゴーリオ・マーニョ教会の『聖アンドレの鞭打ち』の仕事の時は、ドメニキーノは自らを言葉と行動で叱咤激励したと噂され、それに驚いたアンニーバレは、喜びとともにこう叫んだ。「親愛なるドメニキーノ、いま汝は私に教えている」。
1609年にアンニーバレは亡くなったが、それ以降、ローマの美術界はその弟子たちが優勢を占めた。ドメニキーノの次の仕事はサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会のPolet礼拝堂のための聖セシリアの生涯を描いたフレスコ画だった(1613年 - 1614年)。さらにローマで、サン・シルヴェストロ・アル・クィリナーレ教会(San Silvestro al Quirinale)、サン・カルロ・アイ・カティナーリ教会(San Carlo ai Catinari)、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会(Santa Maria in Trastevere)、サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会(Sant'Andrea della Valle)、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会、フラスカーティのヴィッラ・アルドブランディーニ(Villa Aldobrandini)のフレスコ画を制作した。
アンニーバルとドメニキーノは、数少ないバロック期ローマの風景画家で、次の時代のクロード・ロランに影響を与えた。
ランフランコによる盗作の訴え
多くの人々が、ドメニキーノは非社交的で、そのために、ランフランコとの対立を激化させたのだろうと考えている。ドメニチーノがサン・ジローラモ・デッラ・カリタ教会のオラトリオ会士のために『聖ヒエロニムスの聖体拝領』(1614年、バチカン絵画館所蔵)[1]を完成させた直後、ランフランコはアゴスティーノ・カラッチの『Ultima Comunione di San Girolamo(聖ヒエロニムスの最後の聖体拝領)』(1591年 - 1597年)[2]の複製を配布し、ドメニキーノの絵は、褒めるべきところがまんざらなくもないものの、アゴスティーノの盗作だと言い出した。2つの絵を調べてみると、なるほどドメニキーノはアゴスティーノの絵を細かいところまでパラフレーズしていて、盗作かどうか議論の余地はあるものの、ドメニキーノの処理はよりシャープで、ごちゃごちゃしておらず、聖ヒエロニムスの貧しい姿により焦点を当てていると言うことはできる。
- ^ Communion of St. Jerome
- ^ Ultima Comunione di San Girolamo
- ^ Wittkower, p. 321 & Hobbes p. 77.
- ^ 中島智章『世界で一番美しい天井装飾』エクスナレッジ、2015年、26頁。ISBN 978-4-7678-2002-6。
- ドメニキーノのページへのリンク