トリート 来歴

トリート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 03:34 UTC 版)

来歴

結成から解散まで(1983年 - 1993年)

1983年スウェーデンの首都・ストックホルムで結成された。それ以前からThe Boysというバンドで活動していたロバート・アーンルンド、アンダース・ヴィクストロム、レイフ・リリグレンの3人にマッツ・ダールベリとトーマス・リンドが加わる形でスタートを切った。その翌年リンドに代わり、ケン・シヴァートソンが加入した後、「Too Wild」のシングルでレコード・デビューをする。

1985年デビュー・アルバム『スクラッチ・アンド・バイト』を発表。この作品に伴うツアーを終えた後、ダールベリが脱退。後任としてレイフ・スンディンを迎える。この体制で86年に2枚目のアルバム『プレジャー・プリンシプル』を発表した。

1987年には新ドラマーに元シックス・フィート・アンダーのジェイミー・ボーガーが加入、3枚目のアルバム『ドリームハンター』を発表。この作品から「World of Promises」がシングル・カットされ、好調なセールスを記録。アルバムに伴うツアーも成功の内に幕を閉じたが、その後リリグレンとシヴァートソンが脱退してしまう。

2人の脱退後、バンドはヨアキム・ラーションとパトリック・アッペルグレンを迎え、4枚目のアルバム『オーガナイズド・クライム』を発表。

1990年初の来日公演を行う。

1990年代に入ると当時主流になっていたグランジオルタナティヴ・ロックの方向性に沿うような形で新作を作っていたが、その方向性に反発を示したアーンルンドが脱退。その後任はマッツ・レヴィンであり、彼を迎えたバンドは1992年に5枚目のアルバム『トリート』を発表。しかし従来と違う作風に好評は得られず、同作に伴うツアー終了後、バンドは解散は発表した。解散後の2001年に、メンバーの一切関与していない海賊版同然の未発表曲集『マッスル・イン・モーション』が発売された。

再結成から現在まで(2006年 - )

2006年、バンドは再結成を発表。編成は『オーガナイズド・クライム』発表時のメンバーからラーションに代わり、ナリー・ポールソンを加えたものであった。バンドはこの編成で新曲2曲をレコーディング、この2曲はベスト・アルバム『ウェポンズ・オブ・チョイス 1984-2006』に収録された。これを機にバンドはニュー・アルバムの作成に動き出す。

2010年、18年振りとなるスタジオ・アルバム『クーデ・グラー~最後の一撃』を発表する。

2012年ポールソンが脱退、代わりにフレドリック・トマンダーが加入しライヴ活動を頻繁に行っていたが、2013年バンドは2度目の解散を発表した。

解散発表後、ライヴのオファーが次々と舞い込みタイミングを逸していた中、2015年には「Kawasaki Rock City」及び「Namba Rock City」出演のため2度目の来日。ヨーロッパクラッシュダイエットと共演した。 バンドは来日公演の後解散発表を撤回し、2016年に7枚目のアルバム『ゴースト・オブ・グレイスランド』を発表した。

2017年、5月に3回目の来日。

2018年9月5日、8枚目のアルバム『TUNGUSKA(ツングースカ)』リリース。

10月4日-10月6日、ニューアルバム『TUNGUSKA』リリースに伴う来日公演を東名阪で行った[1]

2022年 4月8日にニュー・アルバム『THE ENDGAME』を『Frontiers Records』よりリリース。

母国のスウェーデン チャートで10位以内の大ヒットなった。







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