トニー・カンパーナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 18:55 UTC 版)
モンテレイ・サルタンズ #74 | |
---|---|
シカゴ・カブス時代 (2011年) | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オハイオ州ケタリング |
生年月日 | 1986年5月30日(37歳) |
身長 体重 |
5' 8" =約172.7 cm 165 lb =約74.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2008年 MLBドラフト13巡目 |
初出場 | 2011年5月17日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
経歴
プロ入り前
シンシナティ大学ではジョシュ・ハリソンがチームメイトにいた。ハリソンとはプロ入りも同期である。
プロ入りとカブス時代
2008年のMLBドラフト13巡目(全体401位)でシカゴ・カブスから指名を受け、プロ入り。
2011年5月17日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。5月30日のヒューストン・アストロズ戦では1試合4盗塁、8月5日のレッズ戦ではメジャー初本塁打をランニング本塁打で飾る[1]などセールスポイントの快足を随所で見せる場面が目立ち、最終的に95試合に出場して24盗塁を記録した。
2012年も控えながら89試合に出場して30盗塁を記録した。
ダイヤモンドバックス時代
2013年2月18日にヘスス・カスティーヨ、エリック・リールとのトレードで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した。
エンゼルス時代
2014年7月5日にジョーイ・クレービエル、ザック・ボーンステインとのトレードでジョー・サッチャーと共にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍した[2]。9月2日に、セプテンバー・コールアップで、メジャーに再昇格した[3]。オフに、FAとなった。
ホワイトソックス傘下時代
2014年11月29日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、2015年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[4]が、2015年3月4日に自由契約となった[5]。
ナショナルズ傘下時代
2015年8月10日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[5]。
2016年2月15日、ナショナルズとマイナー契約で再契約し、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[5]。
独立リーグ時代
2017年4月20日に独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのスーシティ・エクスプローラーズと契約。
メキシカンリーグ時代
2018年2月27日にメキシカンリーグのアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約した[5]。
2019年もレイルロードメンと契約。6月25日にトレードでモンテレイ・サルタンズに移籍。
選手としての特徴
常時出場なら盗塁王争いにも参戦できるほどの快足が武器。少年時代にホジキンリンパ腫の治療を行っており、2011年には難病や逆境を克服した選手に贈られるトニー・コニグリアロ賞を受賞した。
- ^ リグレー・フィールドでカブスの選手がメジャー初本塁打をランニング本塁打で記録するのは球団史上初だった。なお2014年現在、カンパーナのメジャーでの本塁打はこの1本のみであり、フェンスオーバーでの本塁打はまだ無い。
- ^ "Angels Acquire LHP Joe Thatcher and OF Tony Campana from Diamondbacks" (Press release) (英語). MLB.com (Los Angles Angels). 5 July 2014. 2016年2月16日閲覧。
- ^ “Eleven Bees Receive September Call-Ups”. Salt Lake Bees Official Site. Minor League Baseball (2014年9月2日). 2016年2月16日閲覧。
- ^ Adam Berry (2014年9月2日). “Speedy Campana invited to White Sox camp”. MLB.com. 2016年2月16日閲覧。
- ^ a b c d MLB公式プロフィール参照。2018年6月20日閲覧
- 1 トニー・カンパーナとは
- 2 トニー・カンパーナの概要
- 3 詳細情報
- 4 関連項目
- トニー・カンパーナのページへのリンク