ダルマ (インド発祥の宗教)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/05 09:45 UTC 版)
歴史
権威ある本ダルマシャーストラの歴史によると、リグ・ヴェーダの賛歌にダルマという単語は、形容詞や名詞として少なくとも56回現れている。ポール・ホルシュによると[22]、ダルマという単語は、ヴェーダのヒンドゥー教の神話にその起源がある。(あらゆる神が作り上げた)ブラーフマンは混沌から宇宙を創造し、地球と太陽と星を分けて保持し(dhar-)、地球から分けて対照的に空を支援し(dhar-)、振動する山と平地を安定させている(dhar-)とリグ・ヴェーダの賛歌は言う[22][30]。神々、主にインドラはその際無秩序から秩序を、混沌から調和を、不安定から安定をもたらし保持する(ダルマという単語の根源と共にヴェーダに再引用される行動)[13]。神話調の詩により構成される神話では、ダルマという単語は、宇宙の主題として拡張された意味があり、神から独立した詩に現れる。例えば主題を通じて原因と効果につながる宇宙の法となるアタルヴァ・ヴェーダに大規模な機能的感覚がある観念に進化するとポール・ホルシュは言う[22]。この古代の文献で、ダルマは儀礼的な意味もある。儀式は宇宙に関係し、神が無秩序から秩序を、混沌から世界を創造するのに用いた主題に儀礼的信仰と同一視されている[31]。現在の世界を神話的宇宙に関連付けるダルマの儀礼的感覚や宇宙的感覚を通じて観念は人類を互いや他の生命形態に関連付ける倫理社会的感覚に拡大する。法の観念としてのダルマがヒンドゥー教に現れるのは、ここである[32][33]。
ダルマや関連する単語は、後のヴェーダやウパニシャッド、プラナ、叙事詩というヒンドゥー教の最古のヴェーダ文学に見出され、ダルマという単語は、仏教やジャイナ教のように後に創設されたインドの他の宗教でも中心的な役割を演じている[13]。ブレレトンによると[34]、ダルマンはリグ・ヴェーダに63回現れ、加えて例えばdharmakrtとして1回、satyadharmanとして6回、dharmavantとして1回、dharmavantとして1回、dharmanとして4回、dharimanとして2回というようにダルマンに関連する単語もリグ・ヴェーダに現れている。
「ダルマ」にとっての印欧語学的類似点が知られているが、唯一のイラン語の同義語は、「ダルマ」という単語がインド・イラン時代に主要な役割を果たさなかったことを示唆する寧ろインド語群のdhármanから除かれることを意味する古代ペルシャ語のdarmān「救済」であり、主にごく最近ヴェーダの伝統の下で発展した[34]。しかし「不変の法」「宗教」をも意味するゾロアスター教のダエーナーがサンスクリットの「ダルマ」と関係していると考えられている[35]。ダルマに重なる部分における思想は、中国語の道やエジプト語のマアト、シュメール語のメーのように他の古代文化に見出される[24]。
敬虔とダルマ
20世紀半ば、紀元前258年からのインドのアショーカ王の碑文がアフガニスタンで発見された(カンダハール二重言語の岩の碑文)。この岩の碑文は、ギリシア語の文献とアラム語の文献を含んでいる。パウル・ハッカーによると[36]岩には敬虔という言葉であるサンスクリットのダルマという単語を表すギリシャ語が現れている[36]。ヘレニズム時代のギリシャの学者は、敬虔を複合的な観念と表現している。敬虔は神を敬うだけでなく生命に対する恭しい態度である精神的な成熟も敬うことを意味し、両親や兄弟姉妹、子供に対する正しい行為や夫と妻の間の正しい行為、生命的に無関係の人々の間の正しい行為を含んでいる。この岩の碑文は、約2300年前にインドでダルマを示唆し、中心的な観念であり、宗教上の思想ばかりでなく人間社会に対する権利や福利、義務の思想を意味したとパウル・ハッカーは結論付けている[36][37]。
リタとマーヤー、ダルマ
ヒンドゥー教の進化する文学は、ダルマをリタとマーヤーという他の二つの重要な観念に関連付けていた。ヴェーダのリタは、その中で宇宙や全ての運用を規定し纏める真理と宇宙の主題である[38][39]。リグ・ヴェーダや後の文学のマーヤーは、欺き無秩序を創造する幻想や詐欺、嘘、魔法を意味していて[40]、従って秩序や予言、調和を生み出す現実や法、支配とは相容れない。ポール・ホルシュは[22]リタとダルマは並行する観念であり、前者は宇宙の主題であり、後者は道義的な社会の面であり、マーヤーとダルマが類似した観念である一方で、前者は法や道義的生活を堕落させるものであり、後者は法や道義的生活を強化するものであると示唆している[39][41]。
デイはダルマがリタの顕現であると提案しているが、非線形の風俗における時を超えて古代インドで発展した思想としてリタはダルマの更に複合的な観念に包含されているかも知れないと示唆している[42]。リグ・ヴェーダの次の詩歌は、リタとダルマが関連している例である。
おおインドラ、我らをリタの道にあらゆる悪に対する正しき道に導きたまえ。—RV 10.133.6
- ^ a b c オクスフォード世界宗教辞典より:「ヒンドゥー教ではダルマは生命と宇宙を可能にする秩序と慣習に従ってその秩序の維持に相応しい行為に言及する基本的な観念である。」[9]
- ^ デヴィッド・カルパハナ:「ブッダはダルマという使い古されたインドの言葉を従前のとおり現象や事物を指すものとして用いた。しかしこのダルマを「他に依って生じた現象」(paticca-samuppanna-dhamma)として定義することにはつねに慎重であった……ダルマという語が存在論的な意味において実体(我; atman)を意味するというインドの観念から、このダンマの概念を区別するために、ブッダは結果、帰結、あるいは果実(attha, Sk. artha)という概念を利用してダンマの実際的な意味を明るみに出した。」[11]
- ^ モニアー=ウィリアムズサンスクリット辞典(1899年):「保有する、持ち運ぶ(産出するとも)、運ぶ、維持する、保存する、保つ、所有する、持つ、使う、雇う、実践する、経験する」[14]
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