ダルマ (インド発祥の宗教)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/05 09:45 UTC 版)
定義
ダルマはインド哲学や宗教で中心となる重要な観念である[20]。ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教における多種多様な意味がある[7]。この言葉に長く多様な歴史があり複雑な一連の意味と解釈にまたがる為にダルマに対して単一の簡潔な定義を示すのは困難である[21]。西洋の言語にダルマに対する単一で示せる同義語はない[8]。
ドイツ語や英語、フランス語へダルマという単語と共に古代サンスクリット文学を翻訳しようという数多の相反する試みがあった。ポール・ホルシュが[22]言う観念は、現代の評論家や翻訳家に格別な困難を齎している。例えばグラスマンの[23]リグ・ヴェーダの翻訳がダルマの7つの異なる意味を示す一方でリグ・ヴェーダの翻訳でカール・フリードリヒ・ゲルトナーはダルマにその他の用語の中に「法」や「秩序」、「義務」、「習慣」、「品質」、「模範」のような意味など20の異なる翻訳を採用している[22]。しかしダルマという単語は、英語で広く受け入れられた借用語になっていて、現代の全ての英英大辞典に含まれている。
ダルマという単語の根源は、「支援するや保有する、持ち運ぶ」を意味する「dhri」である。変化に加わらないことで変化の道筋を規定するものであるが、一定不変のままでいる主題である[24]。サンスクリット語の定義と説明やヒンドゥー教の観念に対する手段を広く引用したモニアー=ウィリアムズは、確固とした天命や法令、法、実践、習慣、義務、権利、正義、徳、道徳律、倫理、宗教、宗教上の利益、良き行い、本質、人格、品質、所有であるもののようにダルマという単語の数多の定義を提唱している[25]。依然としてこの翻訳の結合がこの言葉の全体的な感覚を伝えていない一方で各々のこの定義は不完全である。共通の用語としてダルマは「生命の正しき道」や「廉直の道」を意味している[24]。
ダルマという単語の意味は、状況により違い、その意味はヒンドゥー教の思想が歴史を通じて発展したように進化した。最初期の文献やヒンドゥー教の古代の神話ではダルマは典礼同様に混沌から宇宙を創造した支配である宇宙の法を意味し、後のヴェーダやウパニシャッド、プラーナ文献、叙事詩では意味は洗練され豊かになり複雑化し、この言葉は多様な文献に応用された[13]。ある場面ではダルマは個人の段階におけると同様に本質や社会、家族の全生活に必要な混沌や行為、活動を防ぐ主題である宇宙のものの秩序に必要とみなされる人間の行為を意味している[9][13][26][note 1]。ダルマは適切で正しく倫理的に高潔とみなされる義務や権利、人格、解放、宗教、習慣、あらゆる行為のような思想を網羅している[27]。
ダルマの対義語は、「ダルマではない」ことを意味するアダルマ(サンスクリット:अधर्म)である[28]。ダルマと共にアダルマという単語は多くの思想を含み暗示し、共通の用語としてアダルマは本質に反し不道徳で反倫理的で悪く違法であることを意味している[29]。
仏教では、ダルマは仏教の教祖釈迦の教えと教義を含んでいる。
- ^ a b c オクスフォード世界宗教辞典より:「ヒンドゥー教ではダルマは生命と宇宙を可能にする秩序と慣習に従ってその秩序の維持に相応しい行為に言及する基本的な観念である。」[9]
- ^ デヴィッド・カルパハナ:「ブッダはダルマという使い古されたインドの言葉を従前のとおり現象や事物を指すものとして用いた。しかしこのダルマを「他に依って生じた現象」(paticca-samuppanna-dhamma)として定義することにはつねに慎重であった……ダルマという語が存在論的な意味において実体(我; atman)を意味するというインドの観念から、このダンマの概念を区別するために、ブッダは結果、帰結、あるいは果実(attha, Sk. artha)という概念を利用してダンマの実際的な意味を明るみに出した。」[11]
- ^ モニアー=ウィリアムズサンスクリット辞典(1899年):「保有する、持ち運ぶ(産出するとも)、運ぶ、維持する、保存する、保つ、所有する、持つ、使う、雇う、実践する、経験する」[14]
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