ダホメの女性軍団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/14 06:45 UTC 版)
女性のみで構成された軍隊が出現した理由としては、増加する頻繁な近隣の西アフリカ諸国との暴動や戦争によりダホメ王国の男性の多くが死傷したためである。この状況のせいで、地域における奴隷制が廃止されるまで、ダホメ王国は西アフリカ地域で奴隷を交易品として用いていたオヨ王国とともに奴隷交易を率いる一国となった。男性人口の不足のせいでダホメ王国国王は女性を徴兵するに至ったようだ。さらに注目するべきなのは女性の軍隊の編成は、オヨに対する男性奴隷の毎年の強制的な貢納に対する報復と工作であったということである[5]。
始まり
ダホメ王国第3代国王のウェグバジャは、最初はグベトと呼ばれる象狩りの軍団として、後にミノとなるグループを始めたと言われている[6]。
ウェグバシャの娘のハングベ女王(在位1716年~1718年)は女性のボディガードを初めて雇った。ヨーロッパの商人がこの存在を記録している。史実によると彼女の弟であり継承者であったアガジャ王は1727年の隣国サビ王国への勝利において軍隊をうまく活用した[7]。 女性軍隊はダホメの男性軍人からフォン人の言葉で「我らが母」を意味するミノという名前で呼ばれた[8]。 他の出典には、アガジャ王の姉のハングベが部隊を設立した統治者であったという主張を否定しているものもあり、さらにはハングベの存在を否定までする者もいる[9]。
ゲゾ王 (在位1818~1858) の時代からダホメはより軍国的になった。ゲゾは軍をとても重要視しており、軍事への予算を増やし軍の構造を儀式的なものからより実践的なものに作りかえた。ヨーロッパの伝記が女性兵士のことを「アマゾン」と呼ぶのに対し、彼女たちは自分たちのことをアホシ(王の妻たち)またはミノ(私たちの母たち)と呼んだ[7]。18世紀には800-900名ほどであった女性兵士は、ゲゾ王の即位後に増え、19世紀半ばには3000-8000人程度まで増えた[10]。
徴兵と軍隊生活
ゲゾ王は外国人捕虜から男性と女性の両方を兵士として徴兵した。また、女性兵士は自由身分のダホメ人女性からも登用されており、中には8歳という若さで入隊する少女もいた[7]。他の記録では女性兵士は時に100人規模にもなる、アホシ(王の妻たち)から徴兵されていたことが示されている[11]。 女性達の夫や父親が彼女たちの行動について王に訴えた場合に不本意に徴兵される女性たちがいた一方で、フォン人社会の女性には自主的に兵士になる者もいた[12]。
女性軍団の一員となることで、戦争に必要とされる好戦的な性格が育て上げられると考えられていた。女性軍団に所属している間、軍人たちは子どもを設けること、家庭に入ることが許されなかった(法的には王と婚姻関係を結んでいたが)。軍人の多くは処女であった。この隊は半神聖的な地位を有し、ヴォドゥンに対するフォン人の信仰と絡み合っていた。口承によるダホメ王国の伝統では、徴兵の際、ダホメの女性軍人たちは女性器切除を受けたとされる[13]。
女性兵士は厳しい身体訓練によって鍛え上げられた。軍人たちは訓練によってサバイバルスキルと痛みや死に動じない心構えを身に着け、軍事演習ではアカシアの棘でできた防護柵に突撃し、捕虜の処刑を行った[14]。服装は「現代的な女性戦士の描写にありがちな、ほぼ水着のようなセクシーな格好ではなく、長いパンツを履き、チュニックを着て、キャップを被っていた[4]」と考えられている。
個人の能力強化のために構築された環境下で、女性軍団に従軍することは女性に「指揮権と影響力のある地位へと昇り詰める」機会を与えた[13]。また、女性兵士は裕福で高い地位を有していた[14]。
政治的役割
女性兵士は王国の法律を話し合うにあたり、大評議会で重要な役職に就いていた。1840年から1870年の間(対抗勢力が崩壊したとき)女性兵士の大多数は揃ってアベオクタのエグバ人との講和を結ぶことを支持し、代わりに小規模で防御力の弱い部族を攻撃することを主張した。これにより彼女たちとアベオクタへの猛攻撃を支持する男性軍人の同僚たちは対立した。女性軍団と同盟を結んだ民間人の議会議員たちもまたイギリスとのより強固な商業的関係を望み、奴隷貿易よりもパーム油貿易を優先させた[15]。
議会から離れた場でもダホメの年間行事にはパレードや、軍隊の閲兵式といったものが含まれており、軍隊は王に忠誠を誓ったのだった。年中行事の27日目のお祝いの日には、アゴジェが「砦」を攻撃し、中の奴隷を「捕らえる」といった模擬戦が行われていて[15]、この習慣はフランチェスコ・ボルゲーロという聖職者の日記に記されている[14]。
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