スクリーン ジェムズ 歴史

スクリーン ジェムズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 22:50 UTC 版)

歴史

1940年 - 1946年

10年の間、チャールズ・B・ミンツは『クレイジー・カット』、『Scrappy』、『Color Rhapsody』といった短編アニメ映画をコロンビア ピクチャーズを通して配信し続けた。 1939年、ミンツは事業をやめ、スタジオをコロンビアに売った。新たなマネジメントのもと、このスタジオはスクリーン ジェムズ(Screen Gems)という名前になった。ミンツの制作マネージャー、ジミー・ブロニスがスタジオの代表者になったが、すぐにミンツの義兄弟ジョージ・ウィンクラーに代わった。

しばらくしてコロンビアはウィンクラーを含むスタッフの多くを解雇し、新たにアニメーターのフランク・タシュリンを雇ったが、タシュリンはすぐに辞めてしまう。その後デイヴ・フライシャーが入社し、ワーナー・ブラザースからレイ・カッツとヘンリー・バインダーが入社した。このスタジオに入社したその他のアニメーターやアニメ監督には、アート・デヴィス、シド・マーカス、ボッブ・ウィッカーシャム、ボブ・クランペットなどがいる。

創成期のころのスタジオには、「Flippy」、「Willoughby Wren」、「Tito and his Burrito」といったキャラクターがあった。それらを用いた作品の中でもうまく行ったのが上品なキツネと世慣れたカラスのコンビを描いた『w:The Fox and the Crow』だった。

スクリーン ジェムズは低予算であり続けたことで知られており、白黒漫画映画をやめたのも他のスタジオより遅かった。最後の白黒短編映画は1946年に制作された。その年にそのスタジオは閉鎖されたが、アニメーションの配信は1949年まで続いた。

スクリーン ジェムズの作品は ウォルト・ディズニー・カンパニーフライシャー・スタジオワーナー・ブラザースMGMの作品よりも成功の度合いは小さかった。スタジオの作品は『w:Gerald McBoing Boing』や『近眼のマグー』といった批評的にも商業的にも成功を収めたアニメを作ってきたユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカ(UPA)という外部の制作会社によって引き継がれた。

1948年 - 1974年

1948年、スクリーン ジェムズは、コロンビアのテレビ部門としてテレビ番組を提供することを再開し、いくつかの人気番組(下記参照)の製作・シンジゲーションを行い、1950年代後半には、三ばか大将(The Three Stooges)の出演作品といったコロンビア ピクチャーズのテレビ放映も始めた。最初のころはユニバーサル・スタジオホラー映画のシンジゲーションを行いホラー映画リバイバルに多大な成功を与えた。

スクリーン ジェムズが最後に制作したテレビシリーズは1974年の ミニシリーズ『QB VII』であった。1964年から1969年までは元子役のジャッキー・クーパーが番組部門の副部長を務めた。彼は『奥さまは魔女』のようなシリーズなどを放送局に売った。

1958年から1974年までは、プロダクションの副所長であるハリー・アッカーマンの下で、スクリーン ジェムズは『パパは何でも知っている』、 『わんぱくデニス』、『うちのママは世界一』、『ギジェットは15才』、『奥さまは魔女』、『かわいい魔女ジニー』、『いたずら天使』、『人気家族パートリッジ』といったシットコムを配信した。また、MGMを去ったウィリアム・ハンナジョセフ・バーベラが立ち上げたハンナ・バーベラ・プロダクションの作品も放送された。

1950年代後半、スクリーン ジェムズは放送事業にも力を入れるようになる。スクリーン ジェムズはKTVX(ソルトレイクシティ)、w:WVUEニューオーリンズ)、WAPA(サン・フアン)、w:WNJU(リンデン、ニュージャージー)といった放送局や、50,000ワットクリアチャンネルであるw:WWVA(Wheeling WV)といったラジオ局を所有した。

1974年、スクリーン ジェムズはコロンビア・ピクチャーズ・テレビジョン(以下CPT)に名前を変更した。1982年、コロンビアの企業所有が変更され、コカ・コーラに買収された際も、CPT名義で商売を続けた。1980年代半ば、コカ・コーラはCPTとEmbassy Communicationsを合併させてColumbia/Embassy Televisionをつくりあげ、コカ・コーラ・テレビジョンを作るためにテレビホールディングスを再編成した。いずれの会社もそれぞれのアイデンティティを持ち続けたが、1988年に再びCPTの名のもとに編成されてしまった。1989年、日本の企業であるソニーはコロンビアを買収し、1991年、コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメントはソニーの映画部門の子会社としてソニー・ピクチャーズ エンタテインメントと名を変え、更にCPTとトライスター・テレビジョンは1994年にコロンビア・トライスター テレビジョンとなった。

なお、テレビ部門はソニー・ピクチャーズ テレビジョンと名を変えた。

代表的なテレビ番組

これらの番組はスクリーン ジェムズによって制作もしくはシンジゲート放送された番組である。『Jeannie』をのぞく多くの番組は、ハンナ=バーベラ・プロダクションで制作され、現在はワーナー・ブラザース・テレビジョンが所有しており、ワーナー・ブラザース・テレビジョンが配信を行っている。

1999年から現在まで

1999年、スクリーン ジェムズはのちにソニー・ピクチャーズ クラシックス/トライアンフ・フィルムズ/デスティネーション・フィルムズとなる、ソニー・ピクチャーズ モーション ピクチャー グループの第2特殊映画制作部門として再編成された。スクリーン ジェムズは主にコロンビア ピクチャーズが製作・配給してきた映画と、ソニー・ピクチャーズ・クラシックがリリースしてきた映画の中間にあたる映画を作ってきている。[2]

2002年9月、コロンビア・トライスター テレビジョンはソニー・ピクチャーズ テレビジョンに社名変更した[3]

ディメンション・フィルムズのように、スクリーン ジェムズは、コロンビア・トライスターのメイン作品よりもコアなものを好む人々をターゲットに、低予算のSF映画ホラー映画青春映画笑劇民族映画などを配給しているが、もともとこのスタジオは文化的な大人の映画を製作してきたソニー・ピクチャーズ・クラシックスの姉妹スタジオだった。

主な映画作品


  1. ^ Divisions”. Sony Pictures. 2015年6月7日閲覧。
  2. ^ Corporate Fact Sheet”. Sony Pictures Entertainment. 2005年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月14日閲覧。
  3. ^ Sony Pictures Entertainment Renames Television Operations; Domestic and International Divisions Take Sony Name, prnewswire.com



スクリーン・ジェムズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 08:52 UTC 版)

スクリーン・ジェムズ(Screen Gems)は、アメリカ合衆国の映画製作会社。米ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントの一部であるソニー・ピクチャーズ・モーション・ピクチャー・グループの子会社である。親会社のものとは違う目的の映画を配給してきている。






「スクリーン・ジェムズ」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スクリーン ジェムズ」の関連用語

スクリーン ジェムズのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スクリーン ジェムズのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスクリーン ジェムズ (改訂履歴)、スクリーン・ジェムズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS