ジョセフ・ジェームズ・ジュニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 14:29 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動スコット・アームストロング | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム |
スコット・アームストロング スコット・ジェームズ |
本名 | ジョセフ・スコット・ジェームズ |
ニックネーム | ディキシー・ダイナマイト |
身長 | 185cm |
体重 | 100kg |
誕生日 | 1959年5月4日(63歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ジョージア州 コブ郡マリエッタ |
トレーナー | ボブ・アームストロング |
デビュー | 1983年 |
スコット・アームストロング(Scott Armstrong)の名義で知られる。父親のボブ・アームストロング、弟のブラッド、スティーブ、ブライアンもプロレスラーである。
来歴
1983年にアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングにてプロレスラーとしてデビュー。同年10月には弟のブラッド・アームストロングとのコンビでデニス・コンドリー&ランディ・ローズのミッドナイト・エクスプレスからNWAサウスイースタン・タッグ王座を奪取[1]。以降もアラバマを主戦場に、1984年から1987年にかけて、トミー・ギルバート(エディ・ギルバートの父親)やトム・プリチャードを破り、USジュニアヘビー級王座を再三獲得した[2]。
その後、NWAミッドアトランティック地区や初期WCWを経て、1992年1月には全日本プロレスに初来日。帰国後はジム・コルネット主宰のスモーキー・マウンテン・レスリングに定着し、1995年までスティーブ・アームストロングとの兄弟タッグチームで活動した[3]。
1990年代後半よりWCWにてレフェリーに転向。2002年からはTNAや各地のインディー団体で活動し、2006年7月よりWWEに所属、2010年2月までECWのレフェリーを担当した。
2011年にWWEと再契約し、2月20日のPPV『エリミネーション・チェンバー』のメインイベントにてレフェリーを務めた。同年4月2日には、地元ジョージア州アトランタのフィリップス・アリーナで行われたWWE殿堂の記念式典に出席、ブラッドやブライアンと共に、父ボブ・アームストロングの殿堂入りのインダクターを務めた[4]。
獲得タイトル
- NWA USジュニアヘビー級王座(サウスイースト版):5回[1]
- NWAサウスイースタン・タッグ王座:1回(w / ブラッド・アームストロング)[2]
- NWAレッスル・バーミングハム
- NWAレッスル・バーミングハム・タッグ王座:1回(w / ボブ・アームストロング)
外部リンク
- ^ a b “NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月4日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月4日閲覧。
- ^ “Scott Armstrong”. Cagematch. 2011年7月25日閲覧。
- ^ “WWE Hall of Fame Class of 2011 Inductees: "Bullet" Bob Armstrong”. WWE.com. 2011年7月25日閲覧。
- 1 ジョセフ・ジェームズ・ジュニアとは
- 2 ジョセフ・ジェームズ・ジュニアの概要
固有名詞の分類
アメリカ合衆国のプロレスラー |
ポール・ロンドン マイク・ショー ジョセフ・ジェームズ・ジュニア トム・マテラ クラッシャー・リソワスキー |
二世レスラー |
テッド・デビアス・ジュニア マイク・シャープ・ジュニア ジョセフ・ジェームズ・ジュニア エル・イホ・デル・リスマルク タイガー・アリ・シン |
プロレスのレフェリー |
ウォーリー山口 マイク・ポージー ジョセフ・ジェームズ・ジュニア テッド・タナベ ナルシー秋宗 |
- ジョセフ・ジェームズ・ジュニアのページへのリンク