ジェームス・カーティス・ヘボン
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脚注
注釈
- ^ 高谷道男『ヘボンの手紙』p.56。10月13日付け長崎発の後半に10月20日神奈川という部分があり、10月17日月曜夜到着とある。
- ^ 杉田幸子『横浜のヘボン先生』(いのちのことば社、1999年。増訂版『ヘボン博士の愛した日本』 いのちのことば社・フォレストブックス、2006年)にはヘボンと同じ一族であると記載されているが、高次資料不明。両者の血縁関係について言及した英文の文献は見当たらない。
- ^ 日本で自らを「ヘボン」と称していたことがわかる資料としてほかに以下がある。 同時代の日本人も、日本語で彼の名を「ヘボン」と記している。
出典
- ^ 1881年3月16日付け、W.E.グリフィス宛書簡、高谷道男編著『ヘボン書簡集』岩波書店、1959年。292ページ以降。
- ^ 神奈川宿の外国人たち - 横浜開港資料館報74号、2001年
- ^ 日本人と参勤交代 コンスタンチン・ヴァポリス著 柏書房 2010.6 ISBN 978-4-7601-3821-0 p.112
- ^ 明治学院大学図書館 - 『和英語林集成』デジタルアーカイブス
- ^ a b 学長に相当
- ^ 望月洋子『ヘボンの生涯と日本語』新潮選書、15ページ
- ^ 企画・連載 : 神奈川 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)(19)和英辞典と翻訳聖書の刊行
- ^ 横浜開港150周年 みんなでつくる 横濱写真アルバム
- ^ 本文|近代デジタルライブラリー
- ^ 公文書館だより 第3号 : 神奈川県
- ^ ヘボン・ブラウン訳 新約聖書馬可傳福音書|関西学院と聖書
- ^ 綺堂作品紀聞 その2 綺堂作品とその実証
- ^ 高谷道男『ヘボンの手紙』p.39。同所に『日本語文法書』は何かを特定できない、とある。
- ^ 望月洋子『ヘボンの生涯と日本語』P33~34
- ^ 高谷道男『ヘボンの手紙』p.56。
- ^ 1881年3月16日付け、W.E.グリフィス宛書簡、高谷道男『ヘボン書簡集』岩波書店。1959年。p.301。
- ^ 明治学院大学図書館 - 『和英語林集成』デジタルアーカイブス 『和英語林集成』各版体裁
- ^ 荒井保男『日本近代医学の黎明 横浜医療事始め』中央公論新社、2011年、第1章・44頁。
- ^ 山田萬作『嶽陽名士傳』山田萬作、1891年、39頁。
- ^ 丸尾馨・奥沢康正「眼科医丸尾興堂の家系」『日本医史学雑誌』37巻2号、日本医史学会、1991年4月、289頁。
- ^ 福浦キャンパス|横浜市立大学
固有名詞の分類
辞典編纂者 |
エリアス・リョンロート 坂間勇 ジェームス・カーティス・ヘボン 宮本正男 南條範夫 |
アメリカ合衆国の言語学者 |
ウィリアム・ストーキー メレディス・ガードナー ジェームス・カーティス・ヘボン マーク・ベイカー ジョン・グリンダー |
明治時代の人物 |
折田平内 佐野常民 ジェームス・カーティス・ヘボン 前原一誠 中原助之 |
幕末の外国人 |
シセロ・プライス ユージン・ヴァン・リード ジェームス・カーティス・ヘボン シャルル・ド・モンブラン ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクール |
在日宣教師 |
ケート・ヤングマン 卞在昌 ジェームス・カーティス・ヘボン ダニエル・クロスビー・グリーン ピエール・ムニクウ |
アメリカ合衆国の宣教師 |
ケート・ヤングマン ドナルド・マクギャヴラン ジェームス・カーティス・ヘボン ダニエル・クロスビー・グリーン ピーター・ワグナー |
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