シュラミス・ファイアストーン 執筆活動

シュラミス・ファイアストーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/28 08:03 UTC 版)

執筆活動

覚書

ニューヨーク・ラディカル・フェミニストのメンバーとともに、ファイアストーンは筆者または編者として定期的に「覚書」(Note)を発行した。『初年度の覚書』(1968年6月)、『2年目の覚書』(1970年)、そしてアン・コートと共編した『3年目の覚書』(1971年)である。ただ1970年の『性の弁証法』出版直後からファイアストーンはほとんど女性運動には関わらなくなっていた[8][13]

性の弁証法

第二波フェミニズムの古典である『性の弁証法』(1970年)はファイアストーンの初めての著書である。この本が出版されたとき彼女はまだ25歳だった[14]。本書でファイアストーンは性差に基づいた唯物史観の展開を試みた[15]。またそこでファイアストーンが描いた、女性への抑圧がなくなったユートピア的社会も有名である[16]

経済的階級を廃絶するためには、下層階級(プロレタリアート)の蜂起と一定期間の独裁政権下での「生産」手段の独占が必要なように、性の階級を廃絶するというなら、下層階級(女性)の蜂起と「再生産」の独占的な管理が必要である。そのために女性は自らの身体の所有権を完全に回復するだけではなく、人間の繁殖可能性ーそれは新しい集団生物学であり出産や育児に関わるあらゆる社会制度である―を(一定の期間は)独占的に管理しなくてはならない。〔中略〕女性による革命の最終目標は、最初のフェミニズム運動とは異なり、男性の「特権」ではなく性差による「区別」そのものを撤廃することにある。そのとき人間同士の生殖器の違いは、もはや文化的にはほとんど問題にならなくなるだろう。 [17]

ファイアストーンがラディカルフェミニズムの政治理論に取り入れた思想家は、ジグムンド・フロイトヴィルヘルム・ライヒカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスシモーヌ・ボーヴォワールらであった[18]。彼女はまた、リンカーン・デイとアリス・デイによる『アメリカ人が多すぎる』(1964年)とポール・R. エーリックのベストセラー『人口が爆発する!』(1968年)からの影響も認めている。

『性の弁証法』の中でファイアストーンは、女性の生物学的な特徴がそのジェンダーアイデンティティーと切り離されない限り、現代社会において、真のジェンダー平等の達成は不可能であると述べている[19]。またフロイトとマルクスは、そうした特徴が原因で女性が男性に支配されるという「性の階級制度」を見落としている、というのが彼女の主張だった。ジェンダー不平等は、女性がその体を持つゆえに課せられた家父長制的な社会構造に原因が求められた。特に、女性は妊娠、出産、子育てによって肉体的、社会的、精神的な不利益を被るからである。人間であることは自然を克服することに等しく、「自然において成立していることを根拠にした差別的な性の階級制度の維持はもはや正当化できない」と彼女はいう。そして性の階級を廃止するためには、女性が生殖(再生産)の手段をコントロールする必要があった[20]。ファイアストーンは妊娠と出産を「野蛮」(彼女の友人は後者を「カボチャをひり出す」ことに例えていた)とみなしており、核家族は女性を抑圧する主たる原因と考えていた。避妊や人工授精といった技術の進歩は、いつか性別と妊娠、子育てが切り離され、女性が解放される日が来ることを意味していた。男性と女性という関係の永続性や子供が特定のカップルに「属する」という考えに頼ることなく、人々が自発的に集い子供を育てる未来を彼女は予期していたのである[8]

最後の著作

『性の弁証法』が出版された1970年ごろには、ファイアストーンは政治活動にはかなり消極的になっていた。70年代の初め頃には運動から身を引き、セント・マークス・プレイスへ引っ越して画家としての生活を始めた。彼女は80年代の後半には、精神に失調をきたすようになった。

1998年には『Airless Spaces』が出版された。これは統合失調症の治療経験を下敷きにした短編集であった[21][22]


  1. ^ The camp was liberated by the British Army's 63rd Anti-Tank Regiment, and handed over to the British Second Army and a Canadian unit.[6][7]
  2. ^ The film also won the Experimental 1999 US Super 8; a Film & Video Fest-Screening Jury Citation 2000 New England Film & Video Festival; and Best Experimental Film Biennial 2002.[10]
  1. ^ a b c d Fox, Margalit (2012年8月30日). “Shulamith Firestone, Feminist Writer, Dies at 67”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2012/08/31/nyregion/shulamith-firestone-feminist-writer-dies-at-67.html 
  2. ^ a b Butnick, Stephanie (2012年8月30日). “Shulamith Firestone (1945-2012)”. Tablet Magazine. http://www.tabletmag.com/scroll/110721/shulamith-firestone-1945-2012 
  3. ^ Benewick, Robert and Green, Philip (1998). "Shulamith Firestone 1945–". The Routledge Dictionary of Twentieth-Century Political thinkers. 2nd edition. Routledge, pp. 65–67.
  4. ^ Anderson, Lincoln (2012年8月30日). “Shulamith Firestone, radical feminist, wrote best-seller, 67”. The Villager. http://thevillager.com/2012/08/30/shulamith-firestone-radical-feminist-wrote-best-seller-67/ 
  5. ^ a b c d Faludi, Susan (2013年4月15日). “Death of a Revolutionary”. The New Yorker. https://www.newyorker.com/magazine/2013/04/15/death-of-a-revolutionary 
  6. ^ Reilly, Joanne (1998). Belsen: The Liberation of a Concentration Camp. London and New York: Routledge. p. 23 
  7. ^ Hirsh, Michael (2010). The Liberators: America's Witnesses to the Holocaust. New York: Random House Publishing Group. p. 107 
  8. ^ a b c d e Ackelsberg, Martha (2009年3月1日). “Shulamith Firestone, 1945–2012”. Jewish Women: A Comprehensive Historical Encyclopedia. Jewish Women's Archive. 2010年6月24日閲覧。
  9. ^ Brody, Richard (2015年4月10日). “Recreating a Feminist Revolutionary”. The New Yorker. https://www.newyorker.com/culture/richard-brody/recreating-a-feminist-revolutionary 
  10. ^ a b Elisabeth Subrin Trilogy”. Video Data bank. 2008年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月24日閲覧。
  11. ^ Freeman, Jo (1999). “On the Origins of Social Movements”. In Freeman, Jo; Johnson, Victoria. Waves of Protest: Social Movements Since the Sixties. Lanham: Rowman and Littlefield Publishers, Inc.. pp. (7–24), 19 
  12. ^ Hall, Simon (6 June 2011). American Patriotism, American Protest: Social Movements Since the Sixties. University of Pennsylvania Press. p. 61. ISBN 0-8122-0365-8 
  13. ^ Firestone, Shulamith (June 1968). ed. Notes from the First Year. New York: New York Radical Women, June 1968.
    Firestone, Shulamith (1970). ed. Notes from the Second Year. New York: New York Radical Women.
    Koedt, Anne; Firestone, Shulamith (1971). ed. Notes from the Third Year. New York: New York Radical Women.
  14. ^ Fox, Margalit. “Shulamith Firestone, Feminist Writer, Dies at 67”. 2018年10月7日閲覧。
  15. ^ Firestone, Shulamith (1970). The Dialectic of Sex: The Case for Feminist Revolution. New York: William Morrow and Company. p. 25 
  16. ^ https://www.taylorfrancis.com/books/e/9781317192763 (要購読契約)
  17. ^ Firestone 1970, p. 11.
  18. ^ Rich, Jennifer (2014) [2007]. Modern Feminist Theory. Penrith: Humanities-Ebooks LLP, pp.  21ff. ISBN 978-1-84760-023-3
  19. ^ Encyclopedia of World Biography. Ed. Tracie Ratiner. Vol. 27. 2nd ed. Detroit: Gale, 2007. p129-131.
  20. ^ Sydie, R. A. (1994). Natural women, cultured men: a feminist perspective on sociological theory, University of British Columbia Press, p. 144.
  21. ^ Firestone, Shulamith (March 1, 1998). Airless Spaces. Semiotext(e). pp. 457. ISBN 1-57027-082-1 
  22. ^ Chesler, Phyllis (2018). A Politically Incorrect Feminist: Creating a Movement with Bitches, Lunatics, Dykes, Prodigies, Warriors, and Wonder Women. St. Martin's Press. p. 190. ISBN 9781250094421 
  23. ^ Anderson, Lincoln (2012年8月30日). “Shulamith Firestone, radical feminist, wrote best-seller, 67”. The Villager. http://www.thevillager.com/?p=7172 
  24. ^ Chertoff, Emily (2012年8月31日). “Eulogy for a Sex Radical: Shulamith Firestone's Forgotten Feminism”. 2018年10月8日閲覧。





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