ゴンドラの唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 15:49 UTC 版)
芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。
楽曲
「カチューシャの唄」を手がけた中山晋平により作曲され、同曲同様に大衆の支持を得た。中山によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」[1] のだという。
歌詞はアンデルセンの『即興詩人』(森鷗外訳)の一節を基にしている[2]。
『読売新聞』の1915年4月29日付にライオン水歯磨の「ゴンドラの唄」への協賛広告が掲載され、「ゴンドラの唄」の4番までの歌詞が紹介された[3][4][5]。
ライオン水歯磨を使った口で、ゴンドラの唄をお歌いなさい。
ライオン水歯磨は清い歌声を、ゴンドラの唄に与えます。 — ライオン水歯磨の広告、『読売新聞』1915年4月29日付
カチユーシヤの歌〔ママ〕に代わるものは
ゴンドラの唄でございます — ライオン水歯磨の広告、『読売新聞』1915年4月29日付
(旧漢字を新漢字に、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改めた)
楽譜は1916年(大正5年)7月にセノオ音楽出版社から出版された[6]。
歌詞
いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを [7]
いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬(ほ)を 君が頬(ほ)に
ここには誰れも 来ぬものを
いのち短し 恋せよ乙女
波にただよい 波のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを
いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪(あ)せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを
初出
初出は長らく不明であったが、吉井の研究者である静岡県立大学の細川光洋教授の調査により、総合雑誌「新日本」(1915年4月1日発行)の文芸付録の最終ページで紹介されたものが初出であると結論づけられた[8]。さらに現在広まっているものとは表現が異なる部分があることも判明した。
- ^ 和田登『いのち短し恋せよ少女-小説中山晋平-』140-141頁。
- ^ 「ゴンドラの唄」はアンデルセンの「ベネチアのゴンドラ」という作品をもとにしているときいたが本当か、レファレンス協同データベース(国立国会図書館)、2015年2月14日 15:46更新。2016年6月23日閲覧。
- ^ 『読売新聞』1915年4月29日付、1面。(当時の読売新聞の1面は全面広告ページ。cf. 紙面コピーサービス、読売プラス - 2024年4月12日閲覧。)
- ^ 『流行歌の誕生』164-165頁。
- ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』81-82頁。
- ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』82頁。
- ^ 「明日の月日の」と歌われる場合もある。なお、後述の映画『生きる』においては「明日(あす)という日の」と歌われている。
- ^ 東京新聞2021年12月9日朝刊最終面。細川の研究発表は、オンライン開催の「明星研究会」にて。
- ^ 『流行歌の誕生』166-168頁。
- ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』83-85頁。
- ^ 『流行歌の誕生』168頁、174-175頁。
- ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』95-96頁。
- ^ 『流行歌の誕生』176頁、185頁。
- ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』61-62頁。
- ^ 『流行歌の誕生』168頁。
- ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』95頁。
- ^ いちろう:ゴンドラの唄 - ミュージック : MUSIC TRACK
- ^ 次は歌で酔わせます♪「マッサン」エリー、日本で歌手デビュー! (サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース
- ^ “NOW ON AIR|ニューシングル連続リリース決定&最新アーティスト写真公開!”. 2020年2月6日閲覧。
- ^ “kitsutsuki_DOのツイート(1224989865328173056)”. 2020年2月6日閲覧。
- ^ a b 甦る『ゴンドラの唄』── 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容── - 相沢直樹(山形大学人文社会科学部)2021年7月18日閲覧。
- ^ TV&劇場版主題歌&エンディング - STORY | あしたのジョーファンサイトSOUL OF JOE
- ^ “樹木希林の歌声に背中を押される『命みじかし、恋せよ乙女』監督「最後のメッセージのよう」”. シネマカフェ. (2019年8月13日) 2021年7月18日閲覧。
- 1 ゴンドラの唄とは
- 2 ゴンドラの唄の概要
- 3 ヒット
- 4 参考文献
固有名詞の分類
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