ケイシュウNEWS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 09:14 UTC 版)
放送系メディアとの関係
旧競週ニュースの時代から、在京のテレビ・ラジオ局の競馬中継番組に多くの解説者を派遣してきた。中央版の発行をやめて地方専門となった2001年以後も、南関東公営競馬のテレビでの中継には吉羽をはじめ、多くのスタッフが派遣されており、一方で中央版に携わっていたOBも引き続き露出機会を確保している。
テレビでは大川がダービーニュース在籍時代の1970年(昭和45年)に立ち上げられた東京12チャンネル『土曜競馬中継』(『ザ・ロンゲストショー』内包時代も含む)に継続出演したが、1980年代以降は東日本主場の日曜メインレースを放送するフジテレビ(『競馬中継』→『チャレンジザ競馬』→『スーパー競馬』)に拠点を移し、亡くなる直前まで出演した。
ラジオは大川の古巣とも言える日本短波放送(NSB。現・日経ラジオ社)との関係が緊密で、大川は終生NSB(→ラジオたんぱ)に出演したほか、1973年には報知新聞を退社したばかりの山崎もNSB解説陣に加入した。また1982年(昭和57年)、やはり移籍直後だった塩崎を看板に据えてラジオ日本『競馬実況中継』(土曜1部)の提供に参加し、解説者を派遣した。ケイシュウNEWS中央版最後の本紙予想を務めた能勢俊介も、ラジオ日本で解説者としてデビューした後、ラジオNIKKEIに移動した。
なお東京12チャンネルでは本紙のCMは一切流れず、代わりに松岡の所有する会社が1970年代以降手掛けていた光るナンバープレートのCMが放送され、大川の退任後も出稿が続けられた。ラジオたんぱでも同様の措置を取った時期があるという。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u ケイシュウ
- ^ a b 野辺p.277
- ^ a b c d e f g h i j k l m 野辺p.234
- ^ 太田
- ^ 山崎正行『競馬を動かした人脈の森』(コスモヒルズ ISBN 9784877038335)
- ^ 1972年(昭和47年)9月5日付の1225号をもって休刊。
競馬週報 = Keishu weekly (昼夜通信啓衆社) - 国立国会図書館サーチ。 - ^ 1972年9月の通巻第211号をもって廃刊。
競週地方競馬 (昼夜通信啓衆社) - 国立国会図書館サーチ - ^ a b 野辺p.235
- ^ a b c d ホースメン会議
- 1 ケイシュウNEWSとは
- 2 ケイシュウNEWSの概要
- 3 歴史
- 4 放送系メディアとの関係
- 5 主な所属トラックマン
- 6 脚注
- ケイシュウNEWSのページへのリンク