エウラリア・デ・ボルボーン エウラリア・デ・ボルボーンの概要

エウラリア・デ・ボルボーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 14:56 UTC 版)

エウラリア・デ・ボルボン
Eulalia de Borbón
ボルボン家

出生 (1864-02-12) 1864年2月12日
スペイン王国マドリード王宮
死去 (1958-03-08) 1958年3月8日(94歳没)
スペインイルン
埋葬 1958年3月12日 
スペイン、サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル、エル・エスコリアル修道院
配偶者 ガリエラ公アントニオ・デ・オルレアンス・イ・ボルボーン
子女 アルフォンソ
ルイス・フェルナンド
父親 フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン
母親 スペイン女王イサベル2世
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生涯

マドリード王宮で誕生。1868年、革命のため一家でフランスへ亡命。1874年、兄アルフォンソ12世が即位したため、1877年に一家で帰国。最初は母イサベルとエル・エスコリアル修道院に住んだが、のちセビーリャアルカサルへ移り、その後マドリードへ戻った。

1886年3月9日、従弟にあたるガリエラ公アントニオと結婚。前年に兄アルフォンソ12世が急死したため、予定より7ヶ月遅れて挙式が行われた。2人の間には2男1女が生まれた。

ルイス・フェルナンドの誕生後、エウラリアは夫と別居し、スペインとパリで暮らした。親戚・縁戚と頻繁に連絡を取り合いながら、王室の暴露本を数冊書いた作家でもあった。

1958年、心臓発作のため亡くなり、エル・エスコリアル修道院へ埋葬された。

スペイン王女エウラリア、ジョヴァンニ・ボルディーニ画、1898年



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