インメイト作戦 インメイト作戦の概要

インメイト作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 16:29 UTC 版)

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イギリス巡洋艦からの砲撃が命中したトラックのオイルタンク(1945年6月15日)

背景

太平洋での日本軍に対する連合国の作戦へイギリスが大きく寄与するものとして1944年11月にイギリス太平洋艦隊が編成された。艦隊の基地はオーストラリアのシドニーに設けられ、1945年2月には大半の艦艇がそこに到着した。1945年3月後半から5月後半にかけてイギリス太平洋艦隊の4隻の空母はアメリカ軍の沖縄侵攻作戦を支援するため沖縄南部の飛行場に対して頻繁に空襲を行った。この作戦は5月24日に終結し、艦隊は休養および整備のためシドニーへの帰途に就いた。[1]

1945年2月、空母「インプラカブル」が太平洋艦隊への増援としてイギリスから派遣された。「インプラカブル」は5月8日にシドニーに到着した。[2]5月24日に「インプラカブル」はシドニーから出航し、太平洋艦隊の前進基地であるマヌス島に5日後に到着。5月30日には太平洋艦隊の主力も給油のためマヌス島に立ち寄り、大半の艦艇は6月1日にシドニーへ向かった。「インプラカブル」はマヌス島に留まり、搭載の航空部隊と共に激しい訓練を行った。[2]太平洋艦隊が戦いに戻るための準備の一環として、艦隊の戦闘部隊の指揮官であるバーナード・ローリングス中将は「インプラカブル」や他の最近到着した艦艇によってトラック攻撃を行うことを決定した。その作戦の目的は、7月の日本本土沖での作戦の前に艦艇の乗員に戦闘経験を持たせることであった。[2]ローリングスの最初の命令では二日間にわたって日本軍の飛行場に対する航空攻撃を行うとされていた[3]。「インプラカブル」搭載機のパイロットを含め、参加艦艇の乗員は作戦が訓練目的であることは聞かされていなかった[4]

太平洋戦争の最初の数年はトラックは日本海軍の重要な基地であった。しかし、1943年から1944年初めの連合国軍の進攻により孤立させられ、1944年2月のアメリカ海軍の空母機動部隊による攻撃後は重要な基地ではなくなっていた。[5]だが、トラックはマリアナ諸島の連合国軍の施設やアメリカ海軍の泊地であったウルシー環礁への攻撃に使用される可能性があった[6]。それを防ぐため、アメリカ海軍の空母やアメリカ空軍の重爆撃機による攻撃が繰り返し行われた。1945年6月のイギリスの作戦と同様に、それらの攻撃はアメリカの航空兵に戦闘経験を積ませるために実施された。[6][7]トラックの日本軍は現地住民を徴用して攻撃によって被害を受けた飛行場を修復した。すべての攻撃に対して高射砲部隊による迎撃もなされたが、その規模は次第に減少していった。[8]

両軍の戦力

1945年中頃でもトラックの日本軍の規模は大きかったが、攻勢を行う能力は失われていた。5月時点で日本軍の守備隊は麦倉俊三郎中将指揮下の陸軍13,600名と原忠一中将指揮下の海軍10,600名であった。[7]多くの沿岸砲台や対空砲があったが艦艇は存在せず少数の航空機のみが存在した[9][10][11][12]。レーダーにより来襲する敵に対する警報が発せられた。連合国軍による爆撃が始まる前の段階でも日本軍はトラックの防空は不十分であると考えていた。[13]

シドニーに到着したイギリス空母「インプラカブル」(1945年5月8日)

1944年9月のパラオ失陥後はトラックには増援や補給物資を運ぶ船舶はほとんど訪れなかった。インメイト作戦時には飢えた虚弱者になっていたと歴史家David Hobbsは記している。[6]1944年中頃以降の守備隊の活動の中心は自分たちのための食料の生産であった。その活動は、熱帯の気候条件や空襲による被害のため困難であった。大半の日本人は栄養失調の状態であった。[14]それにもかかわらず、日本軍は侵攻に備えて広範囲にわたる対策をしており、また大量の食料や補給物資を備蓄していた。戦争終結後の1945年8月に、その時点でも日本軍は砲台が少なくとも30日間戦闘を行えるだけの弾薬を有していたことをアメリカ軍が確認している。[15]

イギリス太平洋艦隊のトラック攻撃部隊である第111.2任務群は第4巡洋艦戦隊と第24駆逐群から構成されていた。第4巡洋艦戦隊は空母「インプラカブル」、護衛空母「ルーラー」、巡洋艦「スウィフトシュア」、「ニューファンドランド」、「ウガンダ」、「アキリーズ」からなり、第24駆逐群は駆逐艦「トラウブリッジ」、「ティーザー」、「テネイシャス」、「ターマガント」、「タープシコリ」からなっていた。任務郡の指揮官は「インプラカブル」座乗のE・J・P・Brind少将であった。「インプラカブル」、「ニューファンドランド」と駆逐艦は太平洋にやってきたばかりであったが、それ以外の艦艇は沖縄沖での戦闘に参加していた。[16]インメイト作戦以前に「インプラカブル」が参加した戦闘でもっとも最近のものは1944年後半に行われたノルウェーのドイツ軍に対する航空攻撃であった[17]

「インプラカブル」は80機を搭載しており、これはイギリス太平洋艦隊の空母の中で最大であった。搭載する部隊はスーパーマリン シーファイア48機を装備する第38海軍航空群第801海軍飛行隊と第880海軍飛行隊、TBFアヴェンジャー雷撃機21機を装備する第828海軍飛行隊およびフェアリー ファイアフライ戦闘機11機を装備する第1771海軍飛行隊であった[3]「ルーラー」は「インプラカブル」の航空部隊用の予備であり、第1701海軍飛行隊のスーパーマリン ウォーラス救難機1機のみを搭載していた[3][18]


  1. ^ The British Pacific Fleet”. Royal Australian Navy. 2017年10月8日閲覧。
  2. ^ a b c Hobbs 2011, p. 200.
  3. ^ a b c d e f Hobbs 2011, p. 203.
  4. ^ Winton 1969, p. 164.
  5. ^ Hobbs 2011, pp. 200–202.
  6. ^ a b c Hobbs 2011, p. 202.
  7. ^ a b Rottman 2002, p. 414.
  8. ^ Poyer 2008, pp. 229, 231.
  9. ^ Royal Navy 1995, p. 207.
  10. ^ Vincent 1995, p. 78.
  11. ^ Hobbs 2011, pp. 203, 205.
  12. ^ United States Strategic Bombing Survey 1947, pp. 3, 7.
  13. ^ United States Strategic Bombing Survey 1947, p. 7.
  14. ^ Peattie 1988, p. 304.
  15. ^ Blackton 1946, pp. 403–404.
  16. ^ Hobbs 2011, p. 199.
  17. ^ a b Smith 1969, p. 163.
  18. ^ Brown 2009, p. 100.
  19. ^ a b c d Hobbs 2011, p. 207.
  20. ^ a b c d Hobbs 2011, p. 211.
  21. ^ a b Hobbs 2011, p. 205.
  22. ^ a b c d e Royal Navy 1995, p. 208.
  23. ^ Hobbs 2011, pp. 203–205.
  24. ^ Hobbs 2011, pp. 205–207.
  25. ^ a b Smith 1969, p. 164.
  26. ^ Winton 1969, p. 166.
  27. ^ Waters 1956, p. 389.
  28. ^ a b Smith 1969, p. 165.
  29. ^ Hobbs 2011, pp. 207–208.
  30. ^ Hobbs 2011, p. 208.
  31. ^ Hobbs 2011, p. 209.
  32. ^ Hobbs 2011, pp. 210, 253.
  33. ^ Hobbs 2011, p. 254.
  34. ^ Royal Navy 1995, p. 209.
  35. ^ Vincent 1995, p. 79.
  36. ^ Hobbs 2011, pp. 209, 211.
  37. ^ United States Strategic Bombing Survey 1947, p. 14.
  38. ^ Hobbs 2011, p. 210.
  39. ^ Roskill 1961, p. 363.


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