アラブ首長国連邦 国名

アラブ首長国連邦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:12 UTC 版)

国名

正式名称はアラビア語で、الإمارات العربية المتحدة (ラテン文字転写 : al-Imārāt al-‘Arabīyatu al-Muttaḥidatu; アル=イマーラート・ル=アラビーヤトゥ・ル=ムッタヒダ)。略称は إمارات (イマーラート)で、これはアラビア語で「首長国」を意味する、「إمارة(イマーラ)」という単語の複数形である。

公式の英語表記は、United Arab Emirates。略称は、UAE。国民・形容詞ともEmirati。

日本語の表記は、アラブ首長国連邦。日本語名称をアラブ首長国連合としている場合が見受けられるが、日本国外務省ではアラブ首長国連邦としている。行政機関では略称としてア首連を使用することが多いが、近年では英字で略したUAEの使用も見られる。また、サッカーなどスポーツ競技内ではUAEを使用することが多い。

日本では口語や俗称として単に「アラブ」と呼ばれていたが、アラブ世界との混同があるため上述のUAEという事が多い。

歴史

マガン

現在のアラブ首長国連邦の領域で最古の人類居住遺跡は紀元前5500年頃のものである。やがて紀元前2500年頃にはアブダビ周辺に国家が成立した。メソポタミアの資料でマガンと呼ばれるこの国は、メソポタミア文明インダス文明との海上交易の中継地点として栄えたが、紀元前2100年頃に衰退した。

アケメネス朝ペルシア

紀元前6世紀頃には現在のイランに興ったアケメネス朝ペルシアの支配を受け、その後もペルシア文明の影響を受けていた。

イスラム帝国

7世紀イスラム帝国の支配を受けイスラム教が広がる。その後、オスマン帝国の支配を受ける。

ポルトガル

16世紀ヴァスコ・ダ・ガマインド洋航路を発見し、ポルトガルが来航。オスマン帝国との戦いに勝利し、その後150年間、ペルシア湾沿いの海岸地区を支配する。

オスマン帝国

その他の地域はオスマン帝国の直接統治を経験する。現在のアラブ首長国連邦の基礎となる首長国は17世紀から18世紀頃にアラビア半島南部から移住してきたアラブの部族によってそれぞれ形成され、北部のラアス・アル=ハイマやシャルジャを支配するカワーシム家と、アブダビやドバイを支配するバニヤース族とに2分された。

トルーシャル首長国

ハッタ英語版の見張り塔(18世紀

18世紀から19世紀にかけてはペルシア湾を航行するヨーロッパ人達に対立する海上勢力「アラブ海賊」と呼ばれるようになり、その本拠地「海賊海岸英語版」(英語: Pirate Coast、現ラアス・アル=ハイマ)として恐れられた。彼らは同じく海上勢力として競合関係にあったオマーン王国ならびにその同盟者であるイギリス東インド会社と激しく対立し、1809年にはイギリス艦船HMSミネルヴァ英語版を拿捕して(Persian Gulf campaign)、海賊団の旗艦とするに至る。イギリスはインドへの航路を守るために1819年に海賊退治に乗り出し、ボンベイ艦隊により海賊艦隊を破り、拿捕されていたミネルヴァを奪回の上に焼却。

1820年、イギリスは、ペルシア湾に面するこの地域の海上勢力(この時以来トルーシャル首長国となった)と休戦協定を結び、トルーシャル・オマーン (Trucial Oman:休戦オマーン) と呼ばれるようになる (トルーシャル・コースト (Trucial Coast:休戦海岸とも) 。

1835年までイギリスは航海防衛を続け、1835年、イギリスと首長国は「永続的な航海上の休戦」に関する条約を結んだ。その結果、イギリスによる支配権がこの地域に確立されることとなった。この休戦条約によりトルーシャル・コースト諸国とオマーン帝国(アラビア語: الإمبراطورية العمانية‎)との休戦も成立し、陸上の領土拡張の道を断たれたオマーン帝国は東アフリカへの勢力拡大を行い、ザンジバルを中心に一大海上帝国を築くこととなる。一方トルーシャル・コースト諸国においては、沿岸の中継交易と真珠採集を中心とした細々とした経済が維持されていくこととなった。その後、1892年までに全ての首長国がイギリスの保護下に置かれた。

1950年代中盤になると、この地域でも石油探査が始まり、ドバイとアブダビにて石油が発見された。ドバイはすぐさまその資金をもとにクリークの浚渫を行い、交易国家としての基盤固めを開始した。一方アブダビにおいては、当時のシャフブート・ビン・スルターン・アール・ナヒヤーン首長が経済開発に消極的だったため、資金が死蔵されていたが、この状況に不満を持った弟のザーイド・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーンが宮廷クーデターを起こし政権を握ると、一気に急速な開発路線をとるようになり、ペルシャ湾岸諸国中の有力国家へと成長した。

1968年にイギリスがスエズ以東撤退宣言を行うと、独立しての存続が困難な小規模の首長国を中心に、連邦国家結成の機運が高まった。連邦結成の中心人物はアブダビのザーイドであり、当初は北西のカタールやバーレーンも合わせた9首長国からなるアラブ首長国連邦 (Federation of Arab Emirates:FAE) の結成を目指していたが、カタールやバーレーンは単独独立を選び、一方アブダビとドバイは合意の締結に成功した。

アラブ首長国連邦

ザーイド初代大統領

アブダビとドバイの合意により、残る首長国も連邦結成へと動いた。 1971年アブダビドバイシャールジャアジュマーンウンム・アル=カイワインフジャイラの各首長国が集合して、連邦を建国。 翌1972年、イランとの領土問題で他首長国と関係がこじれていたラアス・アル=ハイマが加入して、現在の7首長国による連邦の体制を確立した。

政治

内政

アラブ首長国連邦は、7つの首長国により構成される連邦国家である。各首長国は世襲の首長による絶対君主制に基づき統治されている。現行の連邦憲法1971年発布の期限付き暫定憲法が、1996年に恒久化されたものである。

連邦の最高意思決定機関は連邦最高評議会(FSC、Federal Supreme Council)で、連邦を構成する7首長国の首長で構成される。議決にはアブダビ(首都アブダビ市がある)、ドバイ(最大の都市ドバイ市がある)を含む5首長国の賛成が必要になる。憲法規定によると、国家元首である大統領、および首相を兼任する副大統領はFSCにより選出されることとなっているが、実際には大統領はアブダビ首長のナヒヤーン家、副大統領はドバイ首長のマクトゥーム家が世襲により継ぐのが慣例化している。閣僚評議会(内閣相当)評議員は、大統領が任命する。

議会一院制連邦国民評議会で、定数は40。議員は連邦を構成する各首長国首長が任命する。議席数はアブダビとドバイが8議席、シャールジャとラアス・アル=ハイマが6議席、アジュマーン、ウンム・アル=カイワイン、フジャイラが4議席を持つ。連邦の最高司法機関は連邦最高裁判所である。

連邦予算は8割がアブダビ、1割がドバイ、残りの1割は連邦政府の税収によって賄われており、残りの5首長国の負担額はゼロである。事実上、アブダビが北部5首長国を支援する形になっていると言える。後述のように石油収入は油田を持つ首長国の国庫に入るため、連邦に直接石油収入が入るわけではない。

国名のとおり、7つの独立した首長国が連邦を組んでいる体制であるため、各首長国の権限が大きく、連邦政府の権限は比較的小さい。外交、軍事、通貨などについては連邦政府の権限であり、また連邦全体の大まかな制度は統一されているが、資源開発、教育、経済政策、治安維持(警察)、社会福祉、インフラ整備などは各首長国の権限である。そのため、アブダビでは石油資源開発系の省庁が大きく、ドバイでは自由貿易系の省庁が力を持っている。世界有数のソブリン・ウエルス・ファンドであるアブダビ投資庁(ADIA)も、連邦ではなくアブダビ首長国に属する。

一般国民には国政に関する選挙権が無いのが特徴だったが、2005年12月1日、連邦国民評議会の定数の半数に対する国民の参政権が認められ、2006年12月、最初のアラブ首長国連邦議会選挙が行われた[5]。しかし、その参政権の幅は極めて限定的なもので、有権者は各首長が選出した計2000人程度に留まる見通しである。政党は禁止されている。

とはいえ、アラブ首長国連邦は石油の富によって成り立つ、つまり国民の労働とその結果である税金に拠らずして国家財政を成立させうる典型的なレンティア国家であるため、国民の政治への発言力も発言意欲も非常に小さい。また、連邦成立以降の急速な経済発展と生活の向上は首長家をはじめとする指導層の運営よろしきを得たものと国民の大多数は考えており、実際にUAE国籍を持つ国民は「ゆりかごから墓場まで」の手厚い政府の保護を受けている。また首長が国民の声を直接聞く伝統的なマジュリスなどの制度も残っているため、民主化を求める動きは大きくない。UAE全住民に対する国民の割合が20%に過ぎないことも、民主化に消極的な原因の一つとなっている。2011年にアラブ世界全域に広がった民主化運動(アラブの春)においても、アラブ首長国連邦国内においては民主化要求デモなどの動きは全く起きなかった[6]

外交

外交は多くの国と幅広い関係を持つと同時に、湾岸協力会議の創設メンバーであるように諸国近隣諸国との関係を重視する保守穏健路線である。ほとんどの国は首都アブダビに外交使節団があり、領事館はアラブ首長国連邦最大の都市ドバイにある。ほとんどの国と良好な関係を築いているものの、外交のバランスを重視し、特定の陣営には所属しない。親米国家として知られるが、中華人民共和国とも友好関係にある[7]。アメリカからの再三の警告でハリファ港での中国の軍事施設建設は中止されたと報じられたものの[8]F-35戦闘機の購入でも中国を念頭にアメリカから多くの制限を要求されると交渉中断を通告し[9]、中国のL-10戦闘機の購入を決定した[10]。また、ドバイで秘密刑務所を中国が運営していると報じられたことがある[11]2022年のロシアによるウクライナ侵攻の際には、敵対行為事態を否定する一方、ロシアを罰する安保理決議案で棄権し[12]、ロシア産原油禁輸を決定したアメリカのバイデン大統領から、原油価格抑制協力を求める電話会談は拒否したが[13]、直後に駐米大使が増産意向を表明し、対立しているわけではないことを示した[14]

隣接するサウジアラビアとの関係を重視している。ラアス・アル=ハイマ領に属するペルシア湾のアブー・ムーサー島、大トンブ島、小トンブ島にはイラン軍が駐留している。また、サウジアラビアとの国境問題は1974年に条約英語版を締結し一時解決したかに思われたが、2006年に再燃した。

湾岸諸国の中でも欧米との関係が密接で、湾岸戦争時はアメリカ軍に基地使用を認め、イラク戦争でもその駐留を許可した。イギリスは旧宗主国であり、現在も関係が深いが、アメリカ合衆国はじめそのほかの欧米諸国とも関係が深まってきた。特にフランス軍は恒久的に駐留している。

アフリカの角にも影響力も持ち、特に2015年イエメン内戦に参戦してからはエリトリアに海外で初の駐留拠点を置き、2017年にはソマリランドとも同様の協定を結んだ。2018年7月のエチオピアとエリトリアの歴史的和解にはエリトリアに軍の基地を持つUAEの働きかけもあったとされる[15]

アラブ首長国連邦とインドとは季節風に乗れば非常に近いため帆船時代より関係があり、現在でもアラブ首長国連邦にやってくる労働者のかなりの部分を南アジア出身者が占める。

イスラエルとの関係

アメリカの仲介を受け、2020年8月にはイスラエルとの国交正常化に合意した[16]。同年9月15日にはイスラエルとの国交正常化の覚書に署名し(バーレーンと同日)、イスラエルが進める中東・北アフリカイスラム圏諸国との国交樹立の先駆けとなった。その後、互いに大使館や航空機直行便を開設して、イスラエルからのダイヤモンド輸入など貿易を拡大。イスラエル国民の多くを占めるユダヤ教徒の戒律に則った食事(カシュルート)に対応するレストランがドバイに開店し、ホロコーストについての展示会が中東イスラム圏では初めて開催され、関係が深化している。ただし、パレスチナ問題でのイスラエルの行動に対する批判は根強い[17]

日本との関係

在アラブ首長国連邦日本人が企業関係者を中心に4,000人弱いるほか、少ないながらも在日アラブ首長国連邦人がいる。

駐日アラブ首長国連邦大使館は東京都渋谷区にある。


  1. ^ a b UNdata”. 国連. 2021年10月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月13日閲覧([1]
  3. ^ 変異株に水差された大阪万博PR デジタル活用カギ”. 産経ニュース (2021年12月11日). 2021年12月11日閲覧。
  4. ^ アラブ首長国連邦基礎データ” (日本語). Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2022年2月20日閲覧。
  5. ^ Poll opens for first UAE elections Al Jazeera, 16 December 2006
  6. ^ ただし、必ずしも民主化や人権問題と無縁ではない。“「アラブの春」 無縁ではないUAE”. 産経新聞. (2011年11月12日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/111112/mds11111212000002-n1.htm 2011年12月1日閲覧。 
  7. ^ 中国、親米UAEと急接近 米に代わり中東で存在感”. 日本経済新聞. 2022年3月12日閲覧。
  8. ^ “UAEの港、中国が軍事用施設を秘密裏に建設…米が懸念伝え作業停止に”. 読売新聞. (2021年11月22日). https://www.yomiuri.co.jp/world/20211122-OYT1T50176/ 
  9. ^ UAE、F35調達交渉中断を通告 米アラブ同盟関係に溝”. 日本経済新聞. 2022年3月12日閲覧。
  10. ^ “UAEが中国製戦闘機を12機購入 米中対立の舞台に”. 朝日新聞. (2022年3月1日). https://www.asahi.com/articles/ASQ2X5TK9Q2SUHBI06D.html 
  11. ^ “A detainee says China has a secret jail in Dubai. China’s repression may be spreading.”. ワシントン・ポスト. (2022年6月10日). https://www.washingtonpost.com/opinions/2021/08/22/detainee-says-china-has-secret-jail-dubai-chinas-repression-may-be-spreading/ 
  12. ^ 米の採決直前までの説得工作実らず、UAEまで棄権…理事国の結束にはつながらず”. 読売新聞オンライン. 2022年3月12日閲覧。
  13. ^ サウジとUAEの首脳、バイデン氏との電話会談を拒否”. WSJ Japan. 2022年3月12日閲覧。
  14. ^ “焦点:原油急落させたUAE声明、存在感誇示の裏に対米不信も”. Reuters. (2022年3月11日). https://www.reuters.com/article/ukraine-crisis-gulf-usa-idJPKCN2L80JC 
  15. ^ “In peace between Ethiopia and Eritrea, UAE lends a helping hand”. ロイター. (2018年8月8日). https://af.reuters.com/article/topNews/idAFKBN1KT1TP-OZATP 2019年7月6日閲覧。 
  16. ^ “イスラエル・UAE、国交正常化に合意 米発表”. 日本経済新聞. (2020年8月14日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62630790U0A810C2000000/ 2020年8月14日閲覧。 
  17. ^ イスラエル「和解」道半ば アラブ諸国と国交1年/進む経済交流■「パレスチナ」はしこり『読売新聞』朝刊2021年9月22日(国際面)
  18. ^ “李明博政権、UAEと秘密軍事条約…「憲法違反」の波紋”. ハンギョレ. (2018年1月10日). http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29457.html 2019年7月7日閲覧。 
  19. ^ “UAE Building its First Naval Base in Eritrea?”. TesfaNews. (2016年4月15日). https://www.tesfanews.net/uae-building-naval-base-eritrea/ 2019年7月5日閲覧。 
  20. ^ “UAE deploys Wing Loong II UAV to Eritrea”. ジェーン・ディフェンス・ウィークリー. (2018年8月15日). https://www.janes.com/article/82382/uae-deploys-wing-loong-ii-uav-to-eritrea 2019年7月5日閲覧。 
  21. ^ a b “The UAE’s Military and Naval Reliance on Eritrea Makes the War in Yemen Even Riskier for the U.S.”. Just Security. (2017年5月31日). https://www.justsecurity.org/41450/uaes-military-naval-reliance-eritrea-war-yemen-riskier-u-s/ 2019年7月5日閲覧。 
  22. ^ World Population Prospects: The 2010 Revision
  23. ^ 松尾昌樹『湾岸産油国 レンティア国家のゆくえ』(講談社 2010年8月10日第1刷発行)pp.122-124
  24. ^ 「歴史的」と言われたイスラエルとUAEの急接近、トランプ氏だけの成果ではなかった” (2021年2月12日). 2021年2月28日閲覧。
  25. ^ a b 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
  26. ^ IMF2016年1月2日閲覧。
  27. ^ 県民経済計算内閣府 2016年1月2日閲覧。
  28. ^ 「アラブ首長国連邦」外務省
  29. ^ 「都道府県別県内総生産(名目、10 億円) 」内閣府
  30. ^ 「1.2 名目GDP(国内総生産)及び一人当たりGNI(国民総所得)順位」外務省
  31. ^ 細井長編著『アラブ首長国連邦(UAE)を知るための60章』(明石書店 2011年3月18日初版第1刷発行)p.263
  32. ^ Top 10 Popular Sports in United Arab Emirates (U.A.E) neoprimesport.com 2019年7月18日閲覧。






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