アバディーン (サウスダコタ州)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 08:50 UTC 版)
アバディーン City of Aberdeen | |
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アバディーン中心街 | |
位置 | |
サウスダコタ州におけるブラウン郡(右図)とアバディーンの位置 | |
座標 : 北緯45度27分53秒 西経98度29分11秒 / 北緯45.46472度 西経98.48639度 | |
歴史 | |
自治体化 | 1882年[1] |
行政 | |
国 | アメリカ合衆国 |
州 | サウスダコタ州 |
郡 | ブラウン郡 |
アバディーン City of Aberdeen | |
市長 | マイク・レブセン |
地理 | |
面積 | |
域 | 33.7 km2 (13.0 mi2) |
陸上 | 33.6 km2 (12.9 mi2) |
水面 | 0.2 km2 (0.1 mi2) |
水面面積比率 | 0.54% |
標高 | 397 m (1302 ft) |
人口 | |
人口 | (2010年現在) |
域 | 26,091人 |
その他 | |
等時帯 | 中部標準時 (UTC-6) |
夏時間 | 中部夏時間 (UTC-5) |
公式ウェブサイト : City of Aberdeen |
アバディーンは、ブラウン郡とエドマンズ郡の全てを含むアバディーン小都市圏の主要都市である。都市圏人口は39,827人である[3]。
歴史
開拓
アバディーン市すなわちブラウン郡にヨーロッパ人開拓者が入る前、およそ1700年から1879年まではスー族インディアンがこの地域に住んでいた。1820年代にコーカサス人毛皮交易商が初めて現れて交易基地を築き、1830年代半ばまで交易が続けられた。この地域の最初の「開拓者」はアリカラ族インディアンであり、その後他の部族も加わることになった。
コーカサス人開拓者の集団が現在のブラウン郡に入ったとき、その集団は人間が4人、馬3頭、ラバ2頭、牛15頭および荷車2両に過ぎなかった。翌春には別の集団も加わり、現在サウスダコタ州コロンビアとなっている地域に次から次と移民が到着し始めた。この町は1879年6月15日に設立された。
開拓者の大半はコーカサス人であり、続いてインディアンが多かった。この傾向は今日でも続いている。
町の創設
アバディーンは、アメリカ合衆国中西部の多くの町と同様、新に進展してくる鉄道の沿線に建設された。アバディーンが初めて公式に町を建設する場所として指定されたのは1881年1月3日のことであり、シカゴ・ミルウォーキー・アンド・セントポール鉄道、略してミルウォーキー鉄道のミネアポリス事務所監督官チャールズ・プライアーが指揮し、政治家のアレクサンダー・ミッチェルが監督していた。プライアーの上司であるミッチェルはスコットランドのアバディーンで生まれていたので、これに因んで町の名前が付けられた。アバディーンの町の正式な設立日は1881年7月6日であり、これはミルウォーキー鉄道が初めて到着した日だった。その後ダコタ準州議会によって1883年3月に市制の認可がなされ、市として運営されるようになった。
アバディーンの町が成長するにつれて、メインストリート沿いに多くの事業用など建物が建設された。しかしこのことはアバディーンの特徴ある地形のために問題になってきた。アバディーンは「蛙の池にある町」と呼ばれるようになった。当初この特徴ある状態は、あまり雨が降らなかったので新しく建設される建物にも問題にならなかった。しかし市民はこの問題が以下に不都合なものになるかを理解するようになった。乾期の間、蛙の池は何の問題もなく、気にも留められなかったが、激しい雨が降ると池が出現してメインストリートの建物全ての基底部を水浸しにし、多くの事業家や家屋所有者を困らせることになった。町には洪水になったときに全体を乾燥させるために使う蒸気駆動のポンプが小さなもの1台しか無かったので、乾燥が終わるまでに何日も、数週間とは言わないまでもそれに近くの時間を要した。その間にまた雨が降ればまた洪水が起こり、せっかく乾燥させた基底部も水で溢れた。水が引くと雨が運んできた泥の処理をする必要もあった。被圧力式の溝を掘ることにしたのが1882年のことであり、後に改良されてアルトワ式井戸に発展し、激しい雨と戦い、基底部を洪水から守るようになった。市の技師達が設計したアルトワ式井戸は洪水を防ぎ水の供給システムを作るように工夫されたとしても、事態はその通りには進まなかった。井戸を掘っているときに、地下水脈の水の圧力が強大であり、そこから噴き出した水でメインストリートは所によって深さ4フィート (1.2 m) まで水に浸かった。技師達は当初計画の誤りに気付き、直ぐに井戸に締め切り弁を付けて水流を制御し、初めて上水供給の施設ができた。
1886年までにこの新しい町には3つの鉄道会社が停車駅を築いていた。これら3線が交差することで、アバディーンは「ダコタの中継都市」として知られるようになった。アバディーンの町を上空から見た場合、鉄道の線路がハブ部を中心として車輪のスポークのように延びていたので、この渾名がついた。この鉄道3線の存在でアバディーンが成長することになったが、今日でも残っている鉄道はバーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道の1線のみとなっている。
1900年国勢調査に拠れば、アバディーンの人口は4,087人だった。これが1910年には10,752人となり。増加率は163%にもなった。1920年には5万人に達するのではないかと予測された。しかしそうはならず、人口は間もなく減少を始めた。2006年時点の推計人口は24,071人であり、2000年とくらべて2.4%の増加である[4]。アバディーンの市民はこの人口衰退を若年人口の流出と老齢人口の増加のせいにしている[5]。
アバディーン市はブラウン郡の郡庁所在地である。しかし当初の郡庁所在地はコロンビアだった。鉄道が建設されていた当時、当時の郡庁所在地だったコロンビアを通って鉄道が敷かれる計画だった。この噂が広まると、投機のためにコロンビア周辺の土地価格が騰貴した。鉄道会社が線路敷設のための土地を買おうとすると、土地価格が上がっていたために計画を変更し、アバディーンを通る経路に変更された。しかし、アバディーンが1881年に町になると、どの町を郡庁所在地にすべきかという議論が持ち上がって1890年まで続いた。1889年に新に制定されたサウスダコタ州憲法では、問題のある郡庁所在地が当初多数決で決定されたものでなければ、住民投票によってそれを動かすことができるとされていた。住民投票の結果はアバディーンが唯一無二の郡庁所在地であると決せられ、全ての証拠書類はアバディーンの裁判所に移された。この郡庁所在地論争の間に、記録類はコロンビアの裁判所から一旦アバディーンの裁判所(1886年から1887年に建設)に移され、それがまたコロンビアに戻されて、果てしなく移動が続くように見えていた。この移動は2つの町から夜間の襲撃によって行われるのが通常だった。
2007年5月の洪水
2007年5月4日金曜日朝に始まり6日日曜日朝まで48時間に降り続いた雨量は9.12インチ (232 mm) にもなった[6]。この雨で通りは洪水となり、短時間通行不能となった。多くの家屋も被害を受けた。嵐から2週間のうちに300以上の世帯が災害救援部局に援助を申し込んだ[7]。5月25日までに104軒が被災状況を届出、このうち47軒が生活不能を宣言した[8]。アバディーンを含むブラウン郡は災害地域に指定された[9]。
地理と気候
アバディーンはサウスダコタ州の北東部、ジェームズ川流域で川の西11マイル (18 km) に位置し、座標は北緯45度27分53秒 西経98度28分11秒 / 北緯45.46472度 西経98.46972度[10]である[10]。ジェームズ川はサウスダコタ州の北東部ブラウン郡で州内に入り、そこにダムが造られて、アバディーンの北東には2つの貯水池ができている。アバディーン市内は流れの緩やかなモカシン・クリークで2つに分けられており、このクリークは南から北東に転じてジェームズ川に入る。 アメリカ合衆国国勢調査局によれば、市域全面積は13.0平方マイル (33.7 km2)、このうち陸地は13.0平方マイル (33.6 km2)、水域は0.1平方マイル (0.2 km2)、水域率は0.54%である[11]。
アバディーンの気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16 (60) |
17 (62) |
28 (82) |
37 (98) |
36 (96) |
44 (112) |
47 (117) |
49 (120) |
42 (108) |
36 (96) |
26 (78) |
17 (62) |
49 (120) |
平均最高気温 °C (°F) | −5.9 (21.4) |
−1.9 (28.5) |
4.6 (40.2) |
14.1 (57.4) |
21.2 (70.2) |
25.9 (78.7) |
29.3 (84.7) |
28.6 (83.5) |
22.8 (73.0) |
15.1 (59.2) |
3.8 (38.8) |
−3.5 (25.7) |
12.8 (55.1) |
平均最低気温 °C (°F) | −17.4 (0.6) |
−12.9 (8.8) |
−6 (21.2) |
0.8 (33.4) |
7.6 (45.6) |
12.7 (54.8) |
15.4 (59.7) |
14.1 (57.4) |
8.1 (46.5) |
1.3 (34.4) |
−6.8 (19.7) |
−14.3 (6.3) |
0.2 (32.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −37 (−35) |
−43 (−45) |
−36 (−32) |
−19 (−2) |
−11 (13) |
1 (33) |
4 (39) |
0 (32) |
−7 (20) |
−13 (8) |
−33 (−27) |
−39 (−39) |
−43 (−45) |
降水量 mm (inch) | 12.2 (0.48) |
12.2 (0.48) |
34 (1.34) |
46.5 (1.83) |
68.3 (2.69) |
88.6 (3.49) |
74.2 (2.92) |
61.5 (2.42) |
46 (1.81) |
41.4 (1.63) |
19 (0.75) |
9.7 (0.38) |
513.6 (20.22) |
出典:USTravelWeather.com April 28, 2010 |
- ^ “SD Towns”. South Dakota State Historical Society. 2010年2月10日閲覧。
- ^ State & County QuickFacts, Aberdeen (city), South Dakota, 2011-12-24閲覧
- ^ “Annual Estimates of the Population of Metropolitan and Micropolitan Statistical Areas: 2000-2007 (CSV)”. 2007 Population Estimates. United States Census Bureau, Population Division. 2008年7月16日閲覧。
- ^ Aberdeen, South Dakota (SD) Detailed Profile - relocation, real estate, travel, jobs, hospitals, schools, crime, news, sex offenders
- ^ Absolutely! Aberdeen
- ^ KELOLAND.com Blogs
- ^ Hundreds seek help in SD after flood ? Disaster News Network
- ^ AberdeenNews.com
- ^ AberdeenNews.com
- ^ a b US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990, United States Census Bureau, (2011-02-12) 2011年4月23日閲覧。
- ^ American Factfinder January 31, 2008|Brown County, South Dakota
- ^ South Dakota School for the Blind and Visually Impaired<!<and Shalom Christian School
- ^ “ABERDEEN: Bunsness, Swanson earn City Council wins”. Aberdeen American News (2010年6月8日). 2010年7月1日閲覧。
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