アナトリー・ドブルイニン アナトリー・ドブルイニンの概要

アナトリー・ドブルイニン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/21 04:35 UTC 版)

アナトリー・ドブルイニン

プロフィール

1946年ソビエト連邦外務省に入省。1957年に国連事務次長に任命され、1960年にソ連外務省の北米部門の長として、モスクワに戻った。

1962年から1986年まで、24年間の長きに渡って駐アメリカ大使を務めた。フルシチョフ時代におきたキューバ危機や、原子炉を搭載した人工衛星コスモス954号墜落事件の際には、ソ連を代表してアメリカ側と交渉をしている[1]

駐米大使離任後は、ソ連共産党中央委員会書記兼国際部長に就任した。

2010年4月6日モスクワにて逝去したことがロシアの新聞『ロスバルト』に報じられた[2][3]。死因は不明。90歳没。

関連項目

外部リンク


  1. ^ 原子炉積載衛星が墜落 ソ連のコスモス型『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月25日朝刊、13版、1面
  2. ^ Медведев соболезнует родным и близким известного дипломата Добрынина ロスバルト 2010年4月8日閲覧。
  3. ^ 訃報:A.ドブルイニンさん 毎日新聞 2010年4月8日閲覧。


「アナトリー・ドブルイニン」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アナトリー・ドブルイニン」の関連用語

アナトリー・ドブルイニンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アナトリー・ドブルイニンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアナトリー・ドブルイニン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS