アキーム・オラジュワン プロ時代

アキーム・オラジュワン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 06:23 UTC 版)

プロ時代

キャリア初期

大学での4年間を終了後、1984年のNBAドラフトにアーリーエントリーを宣言。全体1位で念願のヒューストン・ロケッツから指名を受けた。ドラフト同期にはマイケル・ジョーダンチャールズ・バークレーなど錚々たる選手がいた。 当時ロケッツには身長223cmのラルフ・サンプソンがおり、オラジュワンと合わせて「ツインタワー」と呼ばれるようになった。

オラジュワンのルーキーシーズン、ロケッツは前シーズンの29勝53敗から持ち直し、48勝34敗とミッドウェスト・ディビジョン2位まで成績を上げた。翌1985-86シーズンには勝ち数を51まで延ばし、当時ウェスタン・カンファレンスの強豪だったロサンゼルス・レイカーズとプレイオフのカンファレンスファイナルで対戦、4勝1敗で退けた。臨んだNBAファイナルでは当時史上最強と呼ばれたボストン・セルティックスと戦い、2勝4敗で敗れている。

オラジュワンはリーグ入りしてわずか2年でNBAファイナル出場を経験するものの、翌シーズンはサンプソンの怪我により「ツインタワー」は有効に機能せず、続く1987-88シーズン中にサンプソンはトレードに出される。以降ロケッツは勝ち数が50に届くこともままならず、優勝に絡むこともなく1980年代が過ぎていった。

オラジュワン自身はリーグを代表する好選手の一人と言った位置づけで、1987年以降3年連続でオールNBAファーストチーム入りしている。この時期を前後してリバウンドやブロックでリーグ首位になっており、ディフェンス面でも評価を得ていた。

それにもかかわらずチームはプレイオフで芳しい成果を上げられず、90年代に入る頃にはファンやマスコミの批判が聞かれるようになり、オラジュワン自身の個人成績にも若干の低下が見られた。他チームへのトレードが成立直前の段階にまで至ったこともあった。この時期にオラジュワンは怪我や不整脈で試合を欠場したこともあった。

最盛期

自身をトレードしようとしていた球団に不信感を募らせていたオラジュワンであったが、92年、日本での開幕戦のために移動中だった飛行機機内で球団と和解、吹っ切れたオラジュワンはリーグでもトップクラスの選手になっていた。1993年には26.1得点13リバウンドでオールNBAファーストチーム入りし、ブロックはリーグ最高の平均4.17本を上げた。このシーズンは年間最優秀守備選手にも選ばれた。翌1993-94シーズンはレギュラーシーズンのMVPとNBA最優秀守備選手賞を同時に受賞。オラジュワンはキャリアの全盛期に入り始める。

この時期のオラジュワンは、持ち前のセンスと運動能力を活かしたドリームシェイクという動きを見せるようになる。これは俊敏な動きと多彩なステップワークでディフェンダーを翻弄するもので、センターを務める選手としては規格外と言える多彩なムーブであった(後述)。

このシーズンのプレイオフ、ヒューストン・ロケッツはウェスタン・カンファレンスのセミファイナルでフェニックス・サンズを4勝3敗で退け、カンファレンスファイナルではユタ・ジャズを4勝1敗で下し、ついにNBAファイナル進出を決めた。イースタン・カンファレンスを勝ち上がってきたのは、パトリック・ユーイングのいるニューヨーク・ニックスだった。ニックスはパット・ライリー監督の指導のもと、ディフェンスの強い強豪に成長していた。オラジュワンにとって、ユーイングとは大学の決勝で敗れて以来の因縁の対決となった。ライリーはオラジュワンを封じようと、彼に対してユーイング、チャールズ・オークレー、チャールズ・スミス、アンソニー・メイソンという面々を次々にぶつけるが、最後はロケッツが第7戦までもつれたシリーズを制し、オラジュワンはファイナルMVPに選ばれた。

翌1994-95シーズン、トレード期限間際の2月に、オラジュワンの大学時代のチームメートクライド・ドレクスラーがヒューストンに電撃的に移籍。一方でロケッツの成績は47勝35敗で、優勝した前シーズンよりも勝ち星を10以上減らしていた。第6シードでプレイオフに臨んだロケッツは、1回戦でユタ・ジャズと対戦し、3勝2敗で番狂わせを演じる。続くセミファイナルではフェニックス・サンズを7試合の末に際どい勝利をおさめ、カンファレンス・ファイナルではサンアントニオ・スパーズと対戦。優秀なセンターデビッド・ロビンソンを退け、4勝2敗でスパーズを下す。シーズン成績が自分たちより上だった3チームを倒し、ロケッツは2年連続でNBAファイナルに進む。相手は新世代のスター選手、シャキール・オニールアンファニー・ハーダウェイを擁するオーランド・マジックだった。戦前、「シャック・アタックvsドリーム・シェイク」と話題になったシリーズだったが、マジック優位との声が高かった。シリーズはオラジュワンがシャックにベテランの上手さを見せて、攻めてはドリーム・シェイクで翻弄、ロケッツはマジックを4勝0敗で一蹴して2連覇を達成、オラジュワンは2年連続でファイナルMVPに選ばれた。

キャリア末期

続く2シーズン、オラジュワンの個人成績は相変わらず素晴らしい水準だったが、1996年のプレイオフではカンファレンス・セミファイナルでシアトル・スーパーソニックスに0勝4敗で敗れ、1997年にはカンファレンス・ファイナルでユタ・ジャズに2勝4敗で敗退する。

翌1997-98シーズン、オラジュワンは怪我によりシーズンの大半を欠場し、平均得点16.4でデビュー以来初めて20点を割ってしまった。その後も怪我に悩まされ、再び不整脈に襲われたこともあった。オラジュワンの個人成績は徐々に低下していき、ついにロケッツを退団。2001-02シーズンにトロント・ラプターズにトレードされ、大学時代から20年以上を過ごしたヒューストンを後にした。このシーズンが終わると、オラジュワンは引退した[6][7]


  1. ^ Olajuwon, Hakeem – definition of Olajuwon, Hakeem in English from the Oxford dictionary”. OxfordDictionaries.com. 2016年1月20日閲覧。
  2. ^ Jones, Jonathan. “Hakeem refuses to be shaken by Trump’s Muslim ban” (英語). Sports Illustrated. https://www.si.com/nba/2017/02/01/hakeem-olajuwon-donald-trump-muslim-immigration-ban 2021年7月10日閲覧。 
  3. ^ “ESPN.com - NBA - DAILY DIME: SPECIAL EDITION The game's greatest giants ever”. www.espn.com. http://www.espn.com/nba/dailydime?page=dailydime-GreatestCenters 2021年7月10日閲覧。 
  4. ^ “Where does Bill Russell rank among best centers in NBA history?” (英語). NBCSports. https://www.nbcsports.com/boston/celtics/where-does-bill-russell-rank-among-best-centers-nba-history 2021年7月10日閲覧。 
  5. ^ Reimold, John. “Hakeem Olajuwon Remembered: The Best Center of All Time” (英語). Bleacher Report. 2021年8月7日閲覧。
  6. ^ Hakeem Olajuwon's page at nba.com Archived December 14, 2007, at the Wayback Machine., nba.com, accessed January 3, 2007.
  7. ^ Raptors anticipate injured Olajuwon will retire” (2002年9月30日). 2005年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月16日閲覧。
  8. ^ a b Howerton, Darryl. It Was All A Dream Archived December 13, 2006, at the Wayback Machine., nba.com, accessed January 2, 2007.
  9. ^ Goldsberry, Kirk (2013年3月29日). “The Evolution of King James” (英語). Grantland. http://www.grantland.com/story/_/id/9109245/how-lebron-james-transformed-game-become-highly-efficient-scoring-machine 2018年6月2日閲覧。 
  10. ^ dr34mshake (January 28, 2013), Hakeem Olajuwon & LeBron James Training Sessions 2011, https://www.youtube.com/watch?v=yF0vQGFpHrs 2018年6月2日閲覧。 
  11. ^ Adi Joseph (2016年4月4日). “Hakeem Olajuwon says Kobe Bryant was his greatest success as a coach”. Sporting News. 2021年9月26日閲覧。
  12. ^ Ben DuBose (2020年1月29日). “Hakeem Olajuwon said Kobe Bryant was his best low-post student”. USA Today Sports Weekly. 2021年9月26日閲覧。
  13. ^ コラム Vol.39 佐々木クリスの語る『アキーム“The Dream”オラジュワン』 Archived 2013年6月6日, at the Wayback Machine. - NBA「WOWOW NBA ONLINE」|WOWOWオンライン・2013年2月5日。






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