chevalineとは? わかりやすく解説

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シェヴァリーン

(chevaline から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/19 04:41 UTC 版)

王立空軍コスフォード博物館に展示されているシェヴァリーン

シェヴァリーン(Chevaline[ˈʃɛvəln])は、イギリス海軍のポラリス潜水艦発射弾道ミサイルの核弾頭の侵攻可能性を改善するためのシステム。冷戦下ソ連における弾道ミサイル防衛の性能向上に対する対応として考案された。シェヴァリーンはモスクワ周辺の弾道ミサイル防衛を少なくとも一発の弾頭が突破しうる可能性を高めるためのものだった。シェヴァリ-ン導入前のポラリスの再突入体では、それは実現しえないものと考えられていた。

ノーズコーン排除後のシェヴァリーンのPAC/RV/弾頭/侵攻補助体の展開シーケンスを(左から右へ)示すダイアグラム[1]。第2ステージのブースターはこの段階ではいまだ接続されたままだが、スペースの節約のため省略している。[2]

シェヴァリーンは様々な侵攻補助体英語版(penetration aid)および(decoy)を用いて、敵の弾道ミサイル防衛システムの対処能力を圧倒するほどのターゲット(囮と実弾等が混在し区別できない)をもたらし、そのことにより弾道ミサイル防衛を突破して先制攻撃をしうる合理的な抑止力を確保するものだった。このプロジェクトは高度な秘密であり、1980年に公開されるまで4つの異なる政権を秘密のまま存続した。

このシステムは1982年から1996年まで、システムが取り付けられたポラリス・ミサイルがトライデントII D5ミサイルによって置き換えられるまで配備されていた。

軍事的および政治的な要求

シェヴァリーンが満たすべき要求の起源は、1950年代のソ連首相ニキータ・フルシチョフニコライ・ブルガーニンらが恫喝したように、英国のみへソ連が核攻撃を加えた場合[3]に、米国が核による報復を実施して米国の都市に対する核攻撃を招来するリスクを冒すと期待するのは非現実的だとする複数のイギリス政権の結論にある。一連のイギリス政権によるこの結論は、アメリカから独立したイギリス国民のための核報復能力を正当化するものだった。

この抑止力は、しばらくの間イギリス空軍3Vボマーに基礎をおいてきた。しかし、ソ連防空軍の増強につれて、爆撃機戦力はますます脆弱に見えるようになり、空軍の種々のレポートにおいても、これらの1960年までに爆撃機が自由落下爆弾を成功裏に投下しうることは不可能になりつつあるとされていた。これは1950年代早期には考慮され、計画されたのはブルーストリーク中距離弾道ミサイルへの移行だったが、これは様々な事情による度重なる遅延に見舞われた。

1960年までにブルーストリークが実現できないことが明らかになるにつれ、暫定的な解決策が検討されるようになった。様々な可能性の中で、結局イギリス空軍が選択したのはブルースチール巡航ミサイルであり、ソビエト防空軍の戦闘機の(望むらくは)航続距離外から発射して攻撃できるスタンド・オフ・ミサイルだった。しかし、このシステムの能力は限定的なものであり、射程と爆撃機の生存性を改善いくつかの開発計画がブルースチールⅡとして検討された。

より良い解決策として登場したのがアメリカ製のスカイボルトだった。アメリカの爆撃機もイギリスの3Vボマーと同じ問題に直面しており、長射程のスタンド・オフ・ミサイルを利用した同じような解決策によって問題を解決しようと試みていた。スカイボルトの射程は2000kmあり、ロンドンからモスクワまでが2500㎞だったため、英国沿岸からそれほど離れることなく3Vボマーがロシアを攻撃することが出来た。スカイボルトは非常に良い解決策であるように思われたため、ブルーストリークおよびブルーストリークはキャンセルされた。

スカイボルトの開発は1962年初頭に中止され、政治的な論争となった。最終的に妥協が成立しナッソー協定により、イギリス海軍は新たに獲得したポラリスにより抑止力を担うようになった。この合意はポラリス売却協定として正式に明記された。

協定のキーとなる部分の一つはイギリスが独自に核弾頭を開発するという点だった。イギリスの政軍の当局は独自に核弾頭を設計・製造する能力を失うのではないかと懸念していた。

スカイボルト用の弾頭にすでに一定の努力が投じられていたため、アメリカ海軍のポラリスに搭載されているW58のかわりに、パンパスで試験されたクレオ装置から発展した一次起爆装置を適合させた、米国製W59をもとに、スカイボルト用弾頭のためにおこなわれた設計を適用することが決定された。

ABM問題

ロンドンの帝国戦争博物館に展示されているポラリス・ミサイル

この期間を通じて、アメリカとソ連は弾道弾迎撃ミサイルの開発に取り組んでいた。弾道ミサイル防衛の開発は、大きくは技術的な問題であり、解像度の高いレーダーや接近速度が時速数千マイルにおよぶ投射体に追随できる照準コンピューターが必要である。これらが高価であるため、弾道弾迎撃ミサイル自体のコストはICBMに匹敵するかそれ以下に達する可能性があった。そのため、敵の備蓄は同量の追加費用で相殺しうるものだった。このゲームはアメリカには明らかにのる意思のありうるものだったが、両国の経済の規模に即して、ソ連側の能力は劣っていた。

ソ連が弾道ミサイル防衛に取り組んでいることは1961年に確認されたが、これはソ連が大気圏外におけるICBM迎撃に初の成功を収めた年だった。これに対するアメリカの反応は「アンテロープ」(Antelope)の開発だった。アンテロープは、弾道ミサイル防衛を囮や突入補助体(penaids、penetration aids)によって圧倒するよう設計されていた。結局アメリカはアンテロープを放棄したが、それというのは、同じ目的を単純に追加の核弾頭を投入することによって実現しうるからであり、MIRVの導入によりそれがますます安価になっていったからであった。

こうした弾道ミサイル防衛の開発はイギリスを困難な立場に陥れた。ポラリスは潜航中の弾道ミサイル原潜の中では直接攻撃を受けることはなかったが、核弾頭がソ連の弾道ミサイル防衛を突破できず、そのことをソ連が確信していた場合、ポラリスが持つ影響力はほとんど無かった。ポラリスには複数の核弾頭が備わっていたとはいえ、それらはMIRVではなくMRVであって、同じ目標に対して同じ軌道で放出され、大気圏再突入の間、非常に近接して飛翔した。これは3発の核弾頭全てが、大型の弾頭を備えた1発の弾道弾迎撃ミサイルで攻撃されるという事であった。1隻のレゾリューション級原子力潜水艦は16発のポラリスを搭載し、48発の核弾頭を投下できるが、それらの大半が少数の弾道弾迎撃ミサイルで破壊される可能性が考えられた。これにより、海軍はソビエト国家に脅威を成功裏に与えることを通じての抑止を保証できなかった。

イギリスの核抑止力の有意性を維持するためには、何かがなされなければならなかった。1960年代を通じての弾道ミサイル防衛の発展が注視されていたにも関わらず、この問題は低い優先度のままだった。1967年、ポラリスのより新しい設計のバージョンとしてA3Tを提供した。A3Tは「強固な」ミサイルのエアフレームが備わっており、弾道弾迎撃ミサイルから、より良好に防護されることが意図されていた。イギリスはこのミサイルをまだ受領していなかったため、比較的他の点の変更が少なかったため、A3Tを使用することに同意した。[要出典]

KH.793

1970年、弾道ミサイル防衛問題を探求する真剣な努力が始まった。この点により、アメリカとソ連は弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)に合意した。これにより弾道弾迎撃ミサイルの配備は100発までの2か所のサイトに制限された。MIRVは弾道ミサイル防衛ICBMの間の均衡を深刻に動揺させるものであり、米ソは新たなICBMの増強を避けられるように、弾道弾迎撃ミサイルの展開を大幅に制限することに同意した。イギリスにとって唯一の朗報は、これによって直面する問題が明確に定義されたことである。すなわち、イギリスの弾道ミサイルは、モスクワ周辺に配備された100発の弾道弾迎撃ミサイルによる防衛網を確実に打破できなければならない、ということである。こうして始まったプロジェクト「KH.793」は、1年をかけて可能な解決策を特定するプロジェクトであった。

一つのオプションは、追加のポラリス発射プラットフォームを建造し、より多くの艦を海上に展開させることであった。2隻の「レゾリューション級」は96発の弾頭を投射し、ミサイル一発あたり3発の弾頭であれば、ほぼ突破を保証できた。このためには、常時2隻を海上にとどめるため、少なくとも5隻のレゾリューション級が必要であり、同様により多くの乗員、訓練、兵站支援を必要とし、最も高くつく選択肢であるように思われた。

いくつかの「低コストな」選択肢も検討され、その中にあったのがトプシー(Topsy)、つまりイギリスが使用することに同意したポラリスA3Tミサイルだった。別のオプションは、堅固化された弾頭と侵攻補助体を用いるアンテロープでったが、侵攻補助体を搭載するためにミサイルのペイロードを節約しなければならず、搭載できる核弾頭は2発に減じられるものだった。また、スーパーアンテロープとして知られる、超強化型("superhardened" version)も検討された。これは弾頭のさらなる改良であり、機動可能な弾頭「バス」により侵攻補助体を宇宙空間でより分散して展開させるものだった。

海軍にとって望ましかったのはポセイドン・ミサイルへのアップグレードで、ポセイドンであれば、搭載する弾頭は3発から10~13発のより新しく軽量な設計の弾頭に増加した。この場合、1隻のレぞリューション級が発射できる段郎は208発に上り、数発は防衛網を突破できると補償できた。この選択肢はまた、より長い射程によりミサイルを発射する潜水艦の安全性を増強できるとともに、アメリカ海軍との共通性を維持できる利点もあった。

アメリカもまた、より技術的な理由から、ポセイドンを望ましいと考えていた。アメリカは、デコイを用いるアプローチは、短期的にソ連が配備する弾道弾迎撃ミサイルには有効であろうが、ポイント・ディフェンス型の迎撃ミサイルには有効性が低い、と考えていた。なぜならば、デコイは弾頭よりも大幅に軽量であるため、大気上層に達すると、デコイは弾頭よりも減速して、弾頭から引き離されてしまい、弾頭が迎撃されるようになってしまう。これを迎撃するには、長距離ミサイルを用いるよりも高速に反応するレーダーとコンピューターからなるシステムを必要とし、弾頭が爆発するごく直前の瞬間まで、安全に待つことができなければならなかったが、決して不可能ではなく、アメリカ自身の弾道弾迎撃ミサイル・システムの一部であった。

イギリスが独自の弾頭とバスを生産すると決定するのであれば、この選択肢は、イギリス自身の新たなMIRV用バスを生産するためのかなりの設計努力を必要としたであろう。理論的には、イギリスがアメリカ設計のバスを使用することも考えられたが、これらの選択肢は、ABM条約交渉の最中に検討されたが、条約がこの技術移転を許容するかどうかは明らかではなかった。いくつかの関連した選択肢も検討され、それらのなかには、単純な「非MIRV化」されたバスを使用する「オプションM」、新しいポセイドン用弾頭を既存のポラリスA3Tに搭載する「ハイブリッド(ないしスタッグ)」、同じくより小形のポセイドン用弾頭6発をポラリスA3Tに搭載する「ミニ・ポセイドン」といったものがあった。

結局、イギリス政府上層部は、彼らの参謀総長たちの要望に反して、既存のポラリスA3Tミサイルに侵攻補助体を採用する決定を下した。この決定は1973年後半にエドワード・ヒース政権によって正式に発表され、スーパーアンテロープからシェヴァリーンに改名されました。

当初、プロジェクトは公開される計画だったが、1974年の選挙で政権が交代すると取りやめられた。新たな見直しでは海軍参謀本部が反対していたにもかかわらず、プロジェクトは続行するというものだった。完全な開発は1975年1月に開始された。

シェヴァリーンによるパトロールの、モスクワから 1,950海里 (3,610 km) の限界と、オリジナルの「非改良型」ポラリスA3Tによる2,500海里 (4,600 km)の射程と比較して示した図[4]。パトロール限界内のすべての海域が原潜にとって利用可能なわけではない。射程内にある海域でも、水深が浅すぎたり、あるいはその他の制約により、レぞリューション級が利用できない海域もある。一つの例は北海である。北海はほとんどが浅すぎるだけでなく、海運航路や油田によって制約されている。同様に北極の氷床は北への展開を制約した。また、黒海は立ち入りが禁止されていた。既知の限り、イギリスのポラリス潜水艦は、地中海に展開したことはない

開発

プロジェクトは極秘のうちに、オルダーマストンの核兵器機関(AWE)、ファーンボロ王立航空機機関英語版、アムトヒル(Ampthill)のハンティング・エンジニアリング(Hunting Engineering)、ブラックネルのスペリー・ジャイロスコープ、アメリカのロッキード他からなるチームによって、イギリスとアメリカで遂行された。システムはアメリカ東部の試験場、ケープ・カナベラル、核弾頭はネバダ核実験場での2回のフルスケールの地下核実験でテストされた。ABM-1 ガロッシュの弾頭による放射線の効果への再突入体や弾頭の抵抗力に関する数多くの試験も実施された。オーストラリアのウーメラ試験場では、再突入体、侵攻補助体キャリア(PAC: Penatration aids career)、囮について多方面からの開発のために、ミサイルの試験も行われた。近年に機密解除された公文書によると、プロジェクトのコストの半分以上は、アメリカの企業及び政府機関に支出されていた。

「改良型」のシェヴァリーンの射程は1,950 nmi (3,610 km)で、”非改良型”のポラリスA3Tの2,500海里 (4,600 km)より22%減少していた。これは開発チームに対する海軍幕僚からの継続的なプレッシャーの民も源泉だった。海軍は最小限でも2,000 nmi (3,700 km)の射程を要求しており、ソ連海軍の対潜戦能力の向上を報せる情報報告に深く関心を寄せていた。 ミサイルの射程の減少は、イギリスの潜水艦が潜伏できる海域を減少させる効果があった。シェヴァリ-ンを搭載すると、哨戒海域はGIUKギャップ周辺もしくはそれより北側に限定されたが、以前はギャップの南側でも活動できた。このことは深刻な問題だった。NATOの対潜戦略の大部分は、GIUKギャップでソ連の潜水艦を阻止することにもとづいており、そのことはギャップの北側ではソ連の潜水艦はかなり自由に行動できることを暗黙裡に前提していた。ポラリス潜水艦隊がギャップの北側、またはギャップから限られた距離しか離れられないのだとすると、ポラリス潜水艦はNATO軍の護衛を受けられず、敵の攻撃型潜水艦群の真っ只中で行動しなければならない可能性もあった。

フォンデッタとクァルゲルでテストされていた、新型でより小型の高威力熱核プライマリによって弾頭の重量を軽減する努力がなされた。試験は成功とみなされたが、シェヴァリーンの準備のための遅延は、予定された運用開始日付に対する許容しがたいさらなる遅延のリスクであると考えられたため、使用されなかった。この熱核プライマリはそれ以来公的文書の中では「トリガー・サーヴィス」と言及されたが、この新しい記述を、ウイルソン首相の「新世代の核兵器はない」という約束に対する巧妙な言い逃れではないかと疑う者もいた。シェヴァリーン用の熱核(もしくは核融合)セカンダリで、AWREではコードネーム「レジー」として知られる核弾頭は、これらの機密解除文書では「未改良の」ポラリスA3Tの弾頭として再利用された。

更なる政治的展開

シェヴァリーンのプロジェクトは以後の保守党・労働党双方のイギリス政権によって秘密に保たれた。この秘密は、ハロルド・ウィルソン(第1次・第2次)、エドワード・ヒースジェームズ・キャラハンの各政権の下で秘密に保たれ、最終的にマーガレット・サッチャー政権の国防大臣フランシス・ピムのもとで公開された[5]

後悔された理由は政治的及び実務的の双方にわたった。プロジェクトのコスト超過が、非常に大きく(1979年までに約10億ポンドに達し)、内閣の秘密承認では継続できなくなっていた。プロジェクトを進めるという決定は4年前の1975年になされており、キャンセルしたとしても、その時点では支出を節約できそうにはなかった。またたとえキャンセルしたとしても、代替をいずれにせよ調達しなければならなかった。直後に第1次サッチャー政権は後継システムをトライデントに決め、トライデントC4を発注した。

シェヴァリ-ン・プロジェクトに対する海軍の幕僚の不安もここで表面化した。いくつかの理由から海軍はシェヴァリ-ンを求めておらず、活発に政府に反対を働きかけていた。海軍がポセイドンを望ましいとしたのは、大きくは装備の共通性によるものだった。ポラリスはアメリカ海軍からは段階的に廃止されつつあり、部品の供給や補修施設の利用ができなくなりつつあった。ポラリスをイギリスで使い続けるためには、きわめて少量を供給するために高額な費用を払って生産ラインを再開させることを意味した。米英両海軍に共通のミサイルが望ましく、海軍参謀はシェヴァリ-ンに強く反対した。アメリカ海軍のカウンターパートは、イギリス海軍に国防大臣への正式な要請を通じて議会の承認を得るよう勧めていた[6]。まだしばらくは機密解除されないであろうが、フォークランド紛争後に海軍の影響力が高まった時期であれば海軍幕僚もトライデントについて同様の主張を成功させたかもしれない。

アメリカも後に、主要な開発目標をC4から、より能力の高いD5に移行させた。しかし、D5ミサイルはオハイオ級には適合せず、より古いベンジャミン・フランクリン級においても同様であった。これに関する解決策は、より大型のD5に適合するようオハイオ級の設計を変更することであり、トライデントに全力を注いでいたサッチャーもまた、同じ道をたどり、ヴァンガード級の設計を承認した。米英両政府は、合同のミサイル備蓄をキングズベイ海軍潜水艦基地にあるアメリカ海軍の施設一か所で整備し、両国の潜水艦に供給することで合意した。弾頭のみが異なり、イギリス海軍用のミサイルにはイギリス製の核弾頭が搭載される。

最終的に、近年公開された開発チームの上級メンバーの回想が明らかにしたように、シェヴァリ-ンはイギリスが採りうる選択肢の中で最善ではなく、後知恵としても、最も安価な選択肢でもなかった。しかし、選択は単純ではなく、政治的に可能であり、イギリスの産業及び科学的基盤の最善の利益を重ね合わせるものだった。結局、代替となるのは「シェヴァリ-ンか無か」であり、決定は容易に核の軍事政治的情景からの撤退を意味しえた。そのような選択肢は、イギリス軍上層部にとっても政府にとっても、考えられないものだった[5]

説明

Diagram showing the deployment of the warheads prior to release from the missile airframe below. The right-hand warhead is released free of the PAC, while the left one is manoeuvred while still attached to it.

ABM-1 ガロッシュによる迎撃にたいする対応として、アンテロープ/スーパーアンテロープ/シェヴァリ-ンの技術を用いるポラリスA3Tにアップグレードないし改良型フロントエンド(IFE:Improved Front End)が展開された。シェヴァリ-ンはポラリスに搭載する核弾頭の数を3発から2発に減らし、空いたスペースと重量に多数の囮を搭載し、新型超硬化RVに搭載された弾頭の代わりに超硬化熱核一次弾頭を搭載することで弾頭の生存率を高めることだった。

IFEは2つのパートからなっていた。第1に、ひとつの弾頭は、オリジナルのポラリスにおける3発の弾頭と同じく、ミサイルの2段目に直接装着されていた。第2に、侵攻補助体キャリア(Penatration aids careerrPAC)であり、さまざまな侵攻補助体とともに第2の弾頭を搭載していた。PACは、1基のRVを投入したがその機動能力の主要な目的は、27基の囮を再突入体を筒状に囲むように投入することだった、再突入体は囮とレーダー反射像を合わせるようにされていた。ただ、このシステムはMIRVではなかった。というのも、2つの弾頭の標的は同一であり、ポラリスA3TのMRVと同様に、同一の標的の周辺に弾頭は分散していたからである。

ソ連に対する攻撃の場合、一隻のレゾリューション級であっても、ソ連の指揮統制構造の重要な部分の破壊を保証できた。搭載する16発すべてのミサイルを成功裏に発射できたとして、弾道ミサイル防衛システムは551個の信頼できる目標対処することになります。ABM条約でソ連の弾道弾迎撃ミサイルが100発に制限されているため、一発の「命中」はほぼ確実であった。[要出典]

「非改良型」のイギリスのポラリスA3Tは3発の200キロトンの弾頭を搭載していた[7]。これらはET.317英語版と指定されており、アメリカ製のMK.2再突入体に搭載され、ジェニー(Jennie)として知られるプライマリと、レジー(Reggie)として知られる熱核セカンダリーからなっていた[8]。アップグレードされたポラリスA3Tは、A3TKとして知られ、アップグレードされたイギリス設計の再突入体に2発の核弾頭を搭載していた。これらの弾頭は、新しいハリエット(Harriet)[8]プライマリとET.317から再利用されたレジー[9]を組み合わせて、核出力を225キロトンに増強していた[10]。このシステムは、1982年からトライデント D5によって置換される1996年まで運用された。

再突入体

建造

完全に組み立てられたシェヴァリーン再突入体と新しい弾頭は外形と重心は、アメリカ海軍のポラリスの再突入体と同一であり、そのことで開発コストの最小化し、フルスケールでの飛行試験を回避できた。シェヴァリーン再突入体は、3DQPして知られる新しい材料を使用している点で珍しいものだった。3DQPは、英国で開発され、次いで米国の弾頭においても使用された。

製造

アメリカにおける3DQPの製造ライセンスはAVCOによって取得され、生産が着手された。AVCOはゼネラル・エレクトリックとならぶ、アメリカにおける再突入体の供給事業者であった。シェヴァリーン再突入体の最初の生産品はAVCOが製造したものだった。AVCOは現在ではテキストロンの一部である[11]。イギリスでの製造開始前、現在はオルダーマストンの核兵器機関(AWE)の一部になっているバーフィールドの王立造兵廠において、フランスから購入された石英糸材料を使用していた[12]

シェヴァリーン・システム用の構成部品は、王立造兵廠(カーディフ)で製造されていた。1987年、カーディフ王立造兵廠は(バーフィールドの王立造兵廠とともにAWEカーディフ施設に改名された。カーディフのベリリウム施設(プロジェクトB)およびそのサイトの他の作業場は、PACに関連する高精度部品やシェヴァリーンのデコイ、さらに後年にはトライデントの試製品部品や計器を製造していましたが、1990年代半ばに生産がバーフィールドに移転したため廃止・閉鎖されました。

後に、3DQPの試製品がイギリスの許可なくフランスに供給されたことで、イギリス政府とAVCOの間に摩擦が生じ、アメリカの裁判所でイギリス政府が訴訟を提起した[13]

脚注

出典

  1. ^ Chevaline deployment sequence”. 2022年5月31日閲覧。
  2. ^ ballistic missile submarines, see pictures near the bottom”. 2014年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月19日閲覧。
  3. ^ A.J.R.Groom, "British Thinking About Nuclear Weapons", Frances Pinter, 1974, pp. 190–191. ISBN 0-903804-01-8
  4. ^ Chevaline/Trident range projection”. 2022年5月31日閲覧。
  5. ^ a b THE ROAD TO TRIDENT: Polaris, PIP, Chevaline - A different view of history”. 2022年5月31日閲覧。
  6. ^ Stoddart, Kristan (10 September 2010). “The British Labour Government and the development of Chevaline, 1974–79”. Cold War History 10 (3): 287–314. doi:10.1080/14682741003679375. https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/14682741003679375 2023年2月23日閲覧。. 
  7. ^ Polaris missile – Britannica Online Encyclopedia
  8. ^ a b The Real Meaning of the Words: A Very Pedantic Guide to British Nuclear Weapons Codenames
  9. ^ Public Record Office, London. DEFE 19/191 E4 Sect 2.3
  10. ^ Strategic Defence Review. (July 1998). オリジナルの2012-10-26時点におけるアーカイブ。. http://webarchive.nationalarchives.gov.uk/20121026065214/http://www.mod.uk/NR/rdonlyres/65F3D7AC4340-4119-93A2-20825848E50E/0/sdr1998_complete.pdf 
  11. ^ Textron Businesses: Overview” (2008年5月13日). 2008年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月19日閲覧。
  12. ^ The National Archives, London. AVIA 65/2037
  13. ^ Public Record Office, London. TNA DEFE 24/896

参考文献




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