ウィリアム・ペティとは? わかりやすく解説

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ウィリアム・ペティ

(William Petty から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 04:06 UTC 版)

サーウィリアム・ペティ: Sir William Petty, FRS, 1623年5月26日 - 1687年12月16日[1][2])は、清教徒革命イングランド内戦)から王政復古期にかけてのイングランド医師、測量家、経済学者


注釈

  1. ^ ペティがオランダへ遊学に行った理由は詳しく分かっていないが、当時のオランダは貿易などで繁栄を迎え、後述するように進歩的知識人が集まり、科学水準が飛躍的に高まっていた。そうしたオランダにペティは旺盛な知識欲が刺激され、オランダに惹かれていったと推測されている。松川(1967)、P100 - P107。
  2. ^ ホッブズからペティが受けた影響は光学と解剖学だけでなく、社会経済現象を数量化して推理する「推論」の発想、強大な権力を持つ主権者に統治されるイングランドの富強を目的とする国家観が挙げられる。また、死の前年に子供達へ推薦した書物の中にホッブズの『市民論』があったという。松川(1967)、P126 - P127、P374、P463、岩井、P119、P140。
  3. ^ オックスフォード大学の解剖水準は低いとされ、ペティの前任の教授は医学の古典の講読しかせず、解剖しない退屈な講義だったという。そんな大学が有名になったのは内部より外部の活動にあり、ロンドン理学協会の流れをくむオックスフォード理学協会のメンバーが自然科学研究に熱中していたからで、ロバート・ボイルを始めとするメンバーは集会を開きつつ実践で理論を検証するベーコンの経験論に基づいて、試行錯誤を繰り返し化学または力学を進めていった。なお、ペティがアイルランドへ行った後はボイルの宿所が理学協会の集会に変更された。松川(1967)、P150 - P154。
  4. ^ 医者のペティが何故測量家に転身出来たかについて、既に外国遊学などで測量に基礎的な知識を習得していたからで、地理学・天文学・数学・物理学など幅広い学問を修めていた。また社会経済に関する本を公刊し経済学者としても知られていたので、測量家になれる素質は十分にあった。松川(1967)、P271 - P274。
  5. ^ イングランドからアイルランドへの移民は3つに区別され、16世紀の宗教改革以前に入植した人々はオールド・イングリッシュ(カトリック)、以後の入植者はニュー・イングリッシュ(プロテスタント)と呼ばれた。ニュー・イングリッシュを時代区分でさらに細かく分ける場合もあり、宗教改革からイングランド内戦までの入植者はオールド・プロテスタント、内戦以後はニュー・プロテスタントと呼ばれる。ペティはニュー・プロテスタントに属するが、オールド・プロテスタントのグッキンとの結び付きが強いことからオールド・プロテスタントに肩入れするようになった。岩井、P115 - P120、P123。
  6. ^ ペティを告発したのはヒエロム・サンキーというバプテスト将校で、ウォースリーの友人で1656年に彼と共に没収地分配委員会から追放されていた。サンキーにとってニュー・プロテスタントでありながらオールド・プロテスタントの味方をしてウォースリーに代わったペティは許せない存在となり、ペティは自分が告発された背景にはウォースリーらバプテストの政府転覆計画があったのではないかと指摘している。松川(1967)、P345、岩井、P121。
  7. ^ 岩波文庫版では、その財政論的な内容から『アイァランドの政治的解剖』ではなく、『租税貢納論』に付して収録されている。

出典

  1. ^ 松川七郎『ウィリアム・ペティ』
  2. ^ Sir William Petty English political economist Encyclopædia Britannica
  3. ^ 松川(1967)、P54 - P56。
  4. ^ 松川(1967)、P56 - P61、P96 - P99。
  5. ^ a b c d e f 松川(1967)、P72。
  6. ^ a b c d e f 岩井、P119。
  7. ^ 松川(1967)、P107 - P108。
  8. ^ 松川(1967)、P116 - P130。
  9. ^ 松川(1967)、P132 - P137、P139 - P144。
  10. ^ 松川(1967)、P144 - P145、P147 - P149。
  11. ^ 松川(1967)、P149 - P154。
  12. ^ 松川(1967)、P154、P198 - P199、P265 - P269、P275、P292 - P297、岩井、P119 - P120。
  13. ^ 松川(1967)、P269 - P271、山本、P159、岩井、P120。
  14. ^ 岩井、P121 - P126。
  15. ^ 松川(1967)、P321、P324 - P327、P345、P347、山本、P167 - P168、P207 - P208、岩井、P120 - P121。
  16. ^ "Petty; Sir; William (1623 - 1687)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧
  17. ^ 松川(1967)、P363。
  18. ^ ニコルソン、P65 - P66、P125、P127 - P128、P141 - P149、P217 - P235。
  19. ^ 松川(1967)、P363 - P364、P388。
  20. ^ 松川(1967)、P363、P366。
  21. ^ 山本、P207 - P209、岩井、P126 - P138。
  22. ^ マシュー フォーステイター・アンナ パルマー著『図説世界を変えた50の経済 (シリーズ知の図書館)』、原書房、2014年、P12 - P13。
  23. ^ 吉田義宏「「経費膨脹の法則」に関する研究について」『広島経済大学創立二十周年記念論文集』、広島経済大学経済学会、1988年2月、127-140頁、CRID 1050295757690925952 


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