ヴェルフ6世とは? わかりやすく解説

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ヴェルフ6世

(Welf VI. から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/16 02:06 UTC 版)

ヴェルフ6世
Welf VI.
トスカーナ辺境伯
スポレート公
在位 1152年 - 1160年1167年 - 1173年

出生 1115年
死去 1191年12月15日
神聖ローマ帝国メミンゲン
埋葬 神聖ローマ帝国シュタインガーデン修道院
配偶者 ウタ・フォン・シャウエンブルク
子女 エリーザベト
ヴェルフ7世
家名 ヴェルフ家
父親 バイエルン公ハインリヒ9世
母親 ヴルフヒルト・フォン・ザクセン
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ヴェルフ6世(Welf VI., 1115年 - 1191年12月15日)は、トスカーナ辺境伯およびスポレート公(在位:1152年 - 1160年1167年 - 1173年)。

生涯

ヴェルフ6世は、ヴェルフ家バイエルン公ハインリヒ9世ヴルフヒルト・フォン・ザクセンの三男である。

ヴェルフはシュヴァーベン地方における家領(アルトドルフ伯とラーフェンスブルク伯を含む)を相続し、兄のバイエルン公ハインリヒ10世(傲岸公)はバイエルン公国を領有し、次兄のコンラートは修道士となった。また姉ユーディトを通して神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)の叔父にあたる。甥のフリードリヒ1世はヴェルフより7歳ほど年下であった。

兄ハインリヒ傲岸公はヴェルフを、ライン宮中伯ゴットフリート・フォン・カルフの娘ウタと結婚させた。ゴットフリートが1131年に死去すると、ゴットフリートの甥であるアーダルベルトとヴェルフの間で、カルフの相続をめぐって争いが勃発した。

神聖ローマ皇帝ロタール3世の死後、その義理の息子であり後継者であったバイエルン公ハインリヒ傲岸公は、バイエルン公国とザクセン公国の両方を領有しようとした。しかし、この2つの公領の領有は、フリードリヒ1世の父方の叔父である新皇帝コンラート3世には容認できないとされた。この年、教皇派と皇帝派の戦争が勃発した。1139年10月20日、ハインリヒ3世の崩御後、コンラート3世はバイエルン公国を没収し、バーベンベルク家レオポルト4世に与えた。ヴェルフは、バイエルンの引き渡しを拒否した兄の幼い息子、ハインリヒ獅子公の軍勢に加わった。しかし、1140年のヴァインスベルク攻防戦で敗北を喫した[1]

1142年4月19日のフランクフルト会議によって平和が回復され、ヴェルフは1147年2月のレーゲンスブルク議会で決議された第2回十字軍でコンラート3世に随伴した[2]。ヴェルフは1147年10月25日のドリュラエウムの戦いに参加したが、ドイツ十字軍は壊滅した。十字軍が最終的に失敗した後、コンラート3世がシチリア王ルッジェーロ2世に対抗するためにマヌエル1世コムネノスと協定を締結すると、ヴェルフは海路でイタリアへ直接帰還し、躊躇することなく半島南部のノルマン人と同盟を結んだ。1150年2月、皇帝はネルトリンゲン近郊のフロッホベルクでヴェルフに大敗を喫した。ヴェルフは1151年にコンラート3世と和平を結んだ[3]

翌年、ヴェルフ家とホーエンシュタウフェン家は和平を結び、ヴェルフの甥であるフリードリヒ1世がローマ王に選出された 1152年10月、ヴュルツブルクにおいて、フリードリヒ2世は皇帝選出時のヴェルフ家の支援への感謝として、トスカーナ女伯マティルデの遺産であるイタリアのスポレート公領とトスカーナ辺境伯領をヴェルフに与えた。1156年、バイエルン公領が甥のハインリヒ獅子公に返還された。1160年代初頭、ヴェルフとその息子ヴェルフ7世とシュヴァーベン宮中伯フーゴ・フォン・テュービンゲンの間で争いが勃発したが、皇帝がヴェルフ家側について決着がついた。

ヴェルフ6世の唯一の息子であり後継者であったヴェルフ7世は、1167年、皇帝フリードリヒ1世と共に教皇アレクサンデル3世との戦いに赴く途中、シエーナマラリアに罹り亡くなった。ハインリヒ獅子公はヴェルフの全領土の相続を主張した。資金不足に陥っていたヴェルフは、これに対し多額の金銭の支払いを要求したが、ハインリヒ獅子公はドイツ領の分のみ支払いに同意した。そのため、ヴェルフはイタリアの領地を徐々に皇帝に割譲することを選んだ。1171年までイタリア諸領の統治は継続されたが、マインツ大司教クリスティアン1世・フォン・ブーフが皇帝代理を務めた。

1175年、ロンバルディアへの新たな遠征中に、ハインリヒ獅子公とフリードリヒ1世の間で紛争が勃発した。1180年、皇帝はハインリヒ獅子公を帝国から追放し、ヴェルフから購入した領地も含め、ハインリヒ獅子公のすべての財産を没収することを決定した。ヴェルフから購入した領地はヴェルフに返還され、ヴェルフは死後、フリードリヒ1世の息子の一人であるシュヴァーベン公コンラート2世を後継者に指名した。こうして、ヴェルフのシュヴァーベン地方の領地はすべて、ヴェルフの姉ユーディトの子孫であるホーエンシュタウフェン家に継承された。ハインリヒ獅子公の子孫であるヴェルフ家の男系は、北ドイツのビルング家から受け継いだ遺産のみを保持した。ヴェルフ6世は1191年に亡くなり、1147年に設立したシュタインガーデン修道院に埋葬された。

結婚と子女

ヴェルフ6世は1133年より前に、ライン宮中伯ゴットフリート・フォン・カルフとその妻リウトガルト・フォン・・ツェーリンゲンの娘であるウタ・フォン・シャウエンブルク(1196年没)と結婚し、以下の子女をもうけた。

  • エリーザベト(1135年頃生) - ハプスブルク伯アルブレヒト3世と結婚
  • ヴェルフ7世(1140年頃 - 1167年) - トスカーナ辺境伯およびスポレート公(1160年 - 1167年)

紋章学

初期ヴェルフ家の紋章「金地に青のライオン」

1150年代、ヴェルフ6世は神聖ローマ帝国で最初の紋章入りの騎馬印章を使用した。これは紋章誕生の過程において重要な一歩となった[4]

脚注

  1. ^ Calmette 1951, p. 208.
  2. ^ Freed 2016, pp. 51–53.
  3. ^ Calmette, pp. 209–213.
  4. ^ Nieus 2017, pp. 93–155.

参考文献

先代
ウルリヒ・フォン・アッテムス英語版
トスカーナ辺境伯
スポレート公
1152年 - 1160年
次代
ヴェルフ7世
先代
ヴェルフ7世
トスカーナ辺境伯
スポレート公
1167年 - 1173年
次代
(空位)



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