ワシントン・オールストンとは? わかりやすく解説

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ワシントン・オールストン

(Washington Allston から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 10:25 UTC 版)

ワシントン・オールストン
Washington Allston
自画像
誕生日 1779年11月5日
出生地 サウスカロライナ州ジョージタウンの近く
死没年 1843年7月9日
死没地 ケンブリッジ (マサチューセッツ州)
影響を与えた
芸術家
サミュエル・モールス
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ワシントン・オールストン: Washington Allston ARA、1779年11月5日1843年7月9日)はアメリカ合衆国の画家である。風景画家としての評価が高い。

略歴

アメリカ独立戦争(1775年-1783年)の戦中、1779年にサウスカロライナワカマー川河畔の農園で生まれた。父親のウィリアム・オールストンは独立戦争の軍人で、息子に植民地軍総司令官のジョージ・ワシントンから名前をもらってワシントンと名付けた[1]。父親が1781年、カウペンスの戦いのすぐ後に死去[2]すると、母親は後に裕福な商人と再婚した[3]

1800年にハーバード・カレッジを卒業後、しばらくチャールストンで過ごしたオールストンは1801年5月、イギリスに渡った[3]。9月にロンドンで当時ベンジャミン・ウエストペンシルベニア植民地出身)が会長を務めていたロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの美術学校に入学した[4]

1803年から1808年にわたりパリイタリアの美術館を見て回ると、ローマで作家のワシントン・アーヴィングサミュエル・テイラー・コールリッジと知り合い友人となった[5]。1809年に有名な牧師で思想家のウィリアム・エラリー・チャニングの妹アン・チャニングと結婚した[3]サミュエル・モールスの絵画の才能を見出し、1811年にヨーロッパに招いて指導した。西ヨーロッパを旅した後、ロンドンで活動し画家としての評価を得た。

著述家としても活動し、1813年にロンドンで出版した詩集を、これはボストンでも出版された[6]。1815年に妻を亡くしたこともあって1818年にアメリカに帰国し、マサチューセッツ州のケンブリッジに住むと[7]、1826年にアメリカ芸術科学アカデミーの会員に選ばれた[7]

甥にあたるジョージ・ホワイティング・フラッグ(1816年-1897年)とジャレッド・ブラッドリー・フラッグ(1820年–1899年)に絵を教えた。

1827年にアメリカ初の個展をボストン・アシニアムで開くと12点の作品を展示した[8]。1830年に裁判官フランシス・デイナ(Francis Dana)の娘で最初の妻の従妹のシャルロットと再婚した[9]

オールストンの風景画はその色使いからルネサンス期の画家、ティツィアーノ・ヴェチェッリオに擬えて(なぞらえて)「アメリカのティツィアーノ」と評せられることもあり、その後のアメリカの風景画家に影響を与えたとされる[10]

作品

著作

参考文献

脚注に使用したもの。主な執筆者、編者の順。

脚注

  1. ^ Graff 2006, p. 101
  2. ^ Hubbell 1954, p. 274
  3. ^ a b c Hubbell 1954, p. 275
  4. ^ "Allston, Washington". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/75361 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  5. ^ Burstein 2007, p. 43
  6. ^ Hubbell 1954, p. 277
  7. ^ a b アメリカ芸術科学アカデミー、1780年–2010年会員名簿:章題「A」Book of Members, 1780–2010: Chapter A” (pdf). American Academy of Arts and Sciences. 2011年4月15日閲覧。
  8. ^ Swan, Mabel Munson (1940). The Athenæum Gallery 1827–1873: The Boston Athenæum as an Early Patron of Art. Boston: The Boston Athenæum 
  9. ^ Flagg 1892, p. 14
  10. ^ Vetter. “Poets of Cambridge, USA”. Harvard Square Library. 2007年6月12日閲覧。

関連項目

関連資料

脚注に使っていない資料。発行年順。

ジャレッド・B・フラッグ(甥)「婚礼衣装のアリス・パイク・ベイリー」スミソニアン・アメリカ美術館
  • 藤田 延幸「Washington Allstonの略年譜 : Horatio Greenough理解のための自分自身の覚書(歴史・計画・環境工学・防火)」『日本建築学会東北支部研究報告集』第21号、日本建築学会、1973年3月17日、89-92頁、 CRID 1573105977424080384ISSN 1343-4713 
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