小田原城の戦い (1560年)とは? わかりやすく解説

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小田原城の戦い (1560年)

(Siege of Odawara (1561) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 08:41 UTC 版)

小田原城の戦い(おだわらじょうのたたかい)は、永禄3年(1560年)から永禄4年(1561年)に、関東の上野武蔵相模において、上杉氏長尾氏の連合軍と後北条氏によって行われた一連の合戦である。大槻合戦ともいう[1][注釈 1]。この合戦は、その後10年余にわたる上杉謙信による関東遠征の端緒である。本項では、合戦の経緯として、上杉軍の越山から小田原城包囲戦前後の緒城攻防戦、関連事項についても併せて解説する。


注釈

  1. ^ 同時代史料でもその名が見られる[2]
  2. ^ 古河公方の本来の在所は古河御所であるが、北条氏の政治的戦略の下に天文19年(1550年)に葛西城、永禄元年(1558年)に関宿城に公方府が移され、関宿城の城主であった簗田晴助が古河御所に入っていた。なお、その簗田晴助も上杉軍に呼応していることから、上杉軍は労せずに古河御所を手に入れ、関宿城の足利義氏を包囲することになる[8]
  3. ^ 加藤哲は氏照が多摩地区全域を把握できずに滝山城に入城できたのは謙信撤退後の永禄4年7月頃と推定した[9]。これに対して、齋藤慎一は上杉軍の部隊が滝山を通過しているのに何も起きていないことを指摘し、永禄4年当時に実はまだ滝山城が存在していなかった、つまり謙信侵入などをきっかけにして永禄6年以降に築城されたのは滝山城であるという説を唱えている[10]
  4. ^ 近年の小田原城の遺構の調査や普請文書等の研究によると、謙信来襲時の小田原城は二の丸外郭構え、信玄来襲時で三の丸外郭構えであるとされている[12]
  5. ^ 武田信玄は、第3次川中島の戦いののち、謙信の上洛を望む足利義輝の調停によって停戦していたが、謙信が先に信濃で放火したことに対抗するとして北信濃に侵攻しており永禄元年6月頃までに和議は不調に終わっている[15]
  6. ^ 三田氏滅亡の時期に関しては永禄6年という説もあり。

出典

  1. ^ 戦国合戦研究会『戦国合戦大事典(二)』新人物往来社、1989年。
  2. ^ 「北条氏政判物、大藤式部丞宛感状」『神奈川県史 資料編2
  3. ^ a b c d e f 上杉氏年表』池・矢田、104-107頁
  4. ^ 戦国の房総と北条氏』黒田基樹
  5. ^ a b c d 関東戦国史』千野原、137-141頁
  6. ^ a b c d e f g 北条氏康と東国の戦国世界』山口、88-92頁
  7. ^ a b 神奈川県史 通史編1』1024頁
  8. ^ 長塚孝「氏康と古河公方の政治関係」黒田基樹編 『北条氏康とその時代』 戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 2〉、2021年7月。ISBN 978-4-86403-391-6 P249-250・253-255.
  9. ^ a b 加藤哲「後北条氏の南武蔵進出をめぐって」『戦国史研究』6号(1983年)/所収:浅倉直美 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第三一巻 北条氏照』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-377-0 2021年、P233-234.
  10. ^ 齋藤慎一「戦国期『由井』の政治的位置」(初出:『東京都江戸東京博物館研究報告』第6号(2001年)/所収:齋藤『中世東国の道と城館』(東京大学出版会、2010年)ISBN 978-4-13-020147-6 第13章)
  11. ^ a b c d e 東国の戦国合戦』市村、156-157頁
  12. ^ 小田原城-関東の入り口を押さえた武略と治世の城』(学習研究社)
  13. ^ a b c 武田信玄』平山、47-48頁
  14. ^ a b 武田信玄合戦録』柴辻、68-69頁
  15. ^ 武田信玄合戦録』柴辻、74-75頁
  16. ^ 柴裕之「永禄期における今川・松平両氏の戦争と室町幕府―将軍足利義輝の駿・三停戦令の考察を通じて―」『地方史研究』315号、2005年。後に改題して「今川・松平両氏の戦争と室町幕府将軍」『戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配』岩田書院、2014年に収む。
  17. ^ 丸島和洋「松平元康の岡崎城帰還」『戦国史研究』76号、2016年。
  18. ^ 丸島和洋「武田氏から見た今川氏の外交」(初出:『静岡県地域史研究』5号(2015年)/大石泰史 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻 今川義元』(戎光祥出版、2019年6月) ISBN 978-4-86403-325-1) 2019年、P396-401.


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