本田美奈子.
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本田 美奈子.(ほんだ みなこ、1967年7月31日[3] - 2005年11月6日)は、日本の歌手、女優、声楽家。
注釈
- ^ 「字画を1つ増やせば、輝ける未来に」と言われて2004年に本田 美奈子から画数が31画となるよう名前の後に「.」をつけ改名。読みは変わらない。
- ^ ちなみにこの回のグランプリは松本が獲得した
- ^ この時点ですでにブライアン・メイのプロデュースによる楽曲制作は決まっていたらしい[5]。
- ^ この英語版では「GOLDEN DAYS」の方がA面扱いになっている。
- ^ 酒井は『ミス・サイゴン』の担当ではなかったが、ロンドンでこの作品を見て一月も経たない頃に高杉、本田と会食する機会があり、彼女の印象がヒロインのキムと重なったことからオーディションへの参加を勧誘した。
- ^ 本田は情報誌プチぶんか村の2002年8月号に寄稿したエッセイ「小さな幸せを大切に…」の中で「私はいつも、『人の心を動かせられる様な歌をうたえる歌手になりたい』と思っています。…でも悲しい事に、最近、愛と心と情熱で、音楽を手作りでつくる人がとても少なくなってきてしまいました」と述べていた[17]。
- ^ この翌日に同じ会場で行われたコンサートが一般の観客を前にしたものとしては最後のコンサートとなった。
- ^ この年の最優秀新人賞はTBS系列のテレビドラマ『毎度おさわがせします』に出演していた中山美穂が受賞した。
- ^ 『ドリーム・プレス社』の追悼特集ではスタジオに『ザ・ベストテン』放送当時のセッティングが用意され、最後に「アメイジング・グレイス」が9999点で1位として紹介された。
- ^ デビュー当初、工藤夕貴と従姉妹関係にあるという噂があったが、工藤は本田の没後の取材に対し「噂である」と否定している、ただしデビュー当時はよく似ているとは互いに言われたとの事。
- ^ 当時人気絶頂だった松田聖子がマツダにちなんで芸名をつけたと噂されていた[要出典]。
- ^ 中島も本田の急逝から約1年後の2006年12月20日に亡くなった。
- ^ 本名では迷惑がかかるからと友人の名前を借りてファンクラブに入会していたほどだった。
- ^ BS hiで2008年2月25日に放送。3月3日に同チャンネルで再放送されたほか、3月24日には再編集されたものが総合テレビで放送されるなど、その後も何度も再放送されている。またNHKがBS放送20周年を記念して行った視聴者のアンケートでも17位となり、BS二十歳の名作集として放送された。
- ^ アルバム『時』の発売の際の手書きの手記にはテレビの報道を見て知った水谷修の活動に感銘を受けたことを綴っている。
- ^ 2004年7月の東京芸術劇場及び梅田コマ劇場での「レ・ミゼラブル in コンサート」にもエポニーヌ役で出演した。2005年公演ではファンティーヌ役で出演を予定していたが病気のため休演を余儀なくされた。新たな代役は立てられず、同時にキャスティングされていたマルシア・井料瑠美が本田の出演予定日を務めた。
- ^ 2005年公演では『レ・ミゼラブル』でエポニーヌ役を本田とダブルキャストで演じた島田歌穂が代役を務めた。
- ^ 2005年公演ではプライベートでも親交のあった工藤夕貴が代役を務めた。
出典
- ^ a b c d e f g h i j 別冊宝島 2017, p. 91.
- ^ a b “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月19日閲覧。
- ^ a b c d e 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、138頁。NDLJP:12276264/70。
- ^ “最後は微笑んで…本田美奈子さん白血病で死去/復刻”. 日刊スポーツ. (2016年11月7日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 天に響く歌 2007.
- ^ a b c d e f 吉田寿哉のリレーフォーライフ対談 ゲスト:高杉敬二 がんサポート情報センター 2006年7月、2010年8月1日閲覧
- ^ “最後は微笑んで…本田美奈子さん白血病で死去/復刻”. 日刊スポーツ (2016年11月7日). 2023年10月24日閲覧。
- ^ 1990年4月22日放送の『ミュージックフェア』
- ^ 『スポーツニッポン』1990年11月1日
- ^ 1986年度作品|ACジャパン
- ^ a b “本田美奈子.のラストメッセージが未完の20周年記念盤に!”. ORICON NEWS. (2006年4月20日)
- ^ 写真集『キャンセル』
- ^ “映画ヒットで思い出す、クイーンが愛した本田美奈子”. 日刊スポーツ. (2019年1月16日)
- ^ 【新連載】 アイドルからクラシック・クロスオーバーまで ポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた20年|かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史|ダイヤモンド・オンライン
- ^ a b ミュージカル座のオフィシャルサイトの本田の追悼ページ に彼女の舞台での写真とともに掲載されている。
- ^ “「ミス・サイゴン」から「蝶々夫人」へ、初めてオペラのアリアを歌った日(1996年)”. ダイヤモンド社 (2012年10月19日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ 本田美奈子 (2002年8月). “ぶんか村エッセイ(15) 小さな幸せを大切に・・・”. プチぶんか村 (ライン出版)
- ^ a b アルバム『AVE MARIA』のライナーノート
- ^ “本田美奈子の魅力、いつまでも輝き続ける永遠の歌姫”. Re:minder (2017年8月10日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ a b c 『日刊スポーツ』公式サイトに掲載された 「おくやみ」
- ^ 入絵加奈子 ファンサイト に寄せられた入絵本人からのメッセージ
- ^ “本田美奈子.享年38〜急性骨髄性白血病(AML)が奪った3オクターブの美声!”. HEALTH PRESS. 2023年9月15日閲覧。
- ^ “田村芽実、芽吹いた和のココロ アイドルからミュージカル女優へ、重なる本田美奈子.の背中”. 夕刊フジ. (2020年4月18日)
- ^ a b 『女性自身』2007年4月17日号
- ^ “新世界 本田美奈子”. 音楽コラボアプリ nana (2016年10月4日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ 「特集ワイド 会いたい・2019夏 本田美奈子.さん 声と魂で訴えた愛と平和」『毎日新聞』、2019年8月22日、東京夕刊。
- ^ “11月6日は本田美奈子が亡くなった日”. CHRISTIAN PRESS (2019年11月6日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ a b 吉田寿哉のリレーフォーライフ対談/高杉敬二さん
- ^ 2006年1月22日山形交響楽団の有志によって行われた『本田美奈子.追悼 白血病撲滅チャリティーコンサート』で本田直筆の手記を印刷したパネルが展示されていた。
- ^ “本田美奈子.さん、驚異的なランクアップ!18年5ヵ月ぶりのTOP10入り!”. ORICON NEWS. (2005年11月22日)
- ^ 本田の一周忌に開催された追悼コンサートでのコメント
- ^ 『朝日新聞』2005年11月14日、東京夕刊、10ページ
- ^ 「進化続ける ミス・サイゴン」『読売新聞』、2008年7月25日。オリジナルの2008年7月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ アルバム『心を込めて...』のライナーノート
- ^ “田村芽実、憧れの本田美奈子.さん役で女優として本格始動「天国の本田美奈子.さんに“私を選んで”とお祈りしてました」”. De☆View. オリコン・エンタテインメント (2017年2月16日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ 現在でも公式サイトの 過去ログ で閲覧可能。
- ^ この時の模様は現在本田美奈子さんに捧ぐ - YouTubeで確認することができる。
- ^ 支援キャンペーン:本田美奈子.(公共広告機構公式ページ)
- ^ 本日出版!「アメージング・グレース」物語 ― ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝
- ^ “本田美奈子.のラストメッセージが未完の20周年記念盤に!”. ORICON (2006年4月20日). 2023年1月26日閲覧。
- ^ 『スポーツニッポン』2006年9月16日
- ^ アルバム『PRAHA』のライナーノート
- ^ 『スポーツニッポン』2006年1月14日
- ^ 『サンケイスポーツ』2006年5月22日
- ^ アメイジング・グレイス / ヘイリー duet with 本田美奈子. - YouTube
- ^ ヘイリー「アメイジング・グレイス duet with 本田美奈子.」について - サモンプロモーション・スタッフブログ
- ^ 本田美奈子.さんブライアンと“共演” - 芸能 - SANSPO.COM
- ^ “本田美奈子.の生涯綴る物語「minako-太陽になった歌姫-」上演決定”. ステージナタリー. (2016年12月5日) 2016年12月5日閲覧。
- ^ 本田美奈子 - オリコンTV出演情報
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