Le vieとは? わかりやすく解説

Levie

名前 レヴィレビ

レヴィ (コルス=デュ=シュド県)

(Le vie から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/08 14:15 UTC 版)

Levie
     フランス
地域圏 (Région) コルス地方公共団体
(département) コルス=デュ=シュド県
(arrondissement) サルテーヌ郡
小郡(canton) グラン・シュド小郡
INSEEコード 2A142
郵便番号 20171
市長
任期
ナポレオン・ド・ペレティ・デラ・ロッカ[1]
2014年 - 2020年
標高 平均:660m
最低:152m
最高:1370m
面積 85.85 km²
人口 718 人
(2014年)
人口密度 8.4 人/km²
住民の呼称 Lévianais

レヴィLevie[Note 1]コルシカ語:Livìa)は、フランスコルス地方公共団体コルス=デュ=シュド県コミューン

地理

アルタ・ロッカ地方の中心であり、フィウミシコリ川流域における中心でもある。

歴史

レヴィにおけるユダヤ人の歴史は800年代にさかのぼる。当時、エジプトから大勢の移民たちが到来しコルス南部に住み着いた。このミズラヒム・ユダヤ人たちは、ヘブライ語を書き、話した。その後、コルスの島中にユダヤ人のコミュニティーが分散した。いくつかの山間地の村落には、ラテン語で書かれたものと並行してヘブライ語で書かれた公文書の痕跡が教会に残っている。

アルタ・ロッカ地方の人口集積地であるレヴィには、多くの集落がある。

国が認定した博物館があり、『フランスの博物館』(Musée de France)というラベルの恩恵を受けている。博物館の収蔵品は、アルタ・ロッカ、キュキュルズ、カピュラにおける考古学的発見を評価している。収蔵品の中には、アラギラ=サンノラの埋葬地から発見された、島最古の住民の一人である『ボニファシオの貴婦人』(Dame de Bonifacio)がある。

第二次世界大戦中、レヴィも地元民ルイ・ピーニ率いるアルタ・ロッカ地方のレジスタンス運動の中心であった。1943年の9月15日から17日にかけ、いわゆるレヴィの戦いが起きた。コルス人とイタリア人兵士が連携し、サルデーニャ島から上陸したドイツ軍に反撃したのである。イタリア兵たちは、黒シャツ隊の力を借りて、アジャクシオへの道が開ける峠を奪取しようとしていた。

カピュラに残る砦の廃墟
キュキュルズの先史時代の遺跡

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2014年
1118 1002 912 752 781 696 743 718

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]

脚注

ノート

  1. ^ Se prononce comme « Lévi ».


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