KAT-1とは? わかりやすく解説

KAT-1

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/11 16:59 UTC 版)

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KAT-1

KAT-1(ケイエイティー・ワン)は日本の航空機メーカー、川崎航空機(現在の川崎重工業)が試作したレシプロエンジン練習機。K・Aは川崎航空機、Tは練習機の略。

概要

保安庁(後に防衛庁、現在の防衛省)の航空隊発足に際して、国産の練習機を採用することとなったため、航空各社に対して募集をかけることとなった。富士重工業新立川飛行機東洋航空工業とともに、川崎航空機も応募することにし、2機の試作練習機「KAT-1」を製作した。

しかし、川崎の製作中に、保安庁は富士重工業ライセンス生産することを決定したT-34 メンターを、運動能力の高さなどを理由に採用した。それでも、川崎はKAT-1を完成させ、何とか販売網に乗せようと売り込みを図ったが、まだ戦後間もなく、経営基盤が危うい状態での売り込みは企業生命にかかわると感じた通商産業省(当時)によって作業停止を命じられた。結局KAT-1は2機の製作にとどまった。

試作した2つの機体は運輸省(当時)航空大学校の練習機として採用された[1]。用途廃止後は1号機(JA3084)が北海道滝川市こども科学館へ、2号機(JA3100)は東京都立科学技術大学へ引き取られて展示された。1993年平成5年)に2号機が博物館を計画していた岐阜県各務原市に引き取られたが、状態が悪いために倉庫に保管された。1号機も2002年(平成14年)10月にかかみがはら航空宇宙科学博物館(現・岐阜かかみがはら航空宇宙博物館)へ移され、2003年(平成15年)4月から屋内で展示されている[1]

機体

同社の試作連絡機KAL-1から大幅に変更を加えられた。キャビンをタンデム複座に変更、尾輪式から近代的な首輪式へ変更、エンジンの転換のほか、KAL-1で問題となった翼端失速の解決の為、主翼の翼型を三式戦闘機「飛燕」と同系列のものに形状変更することによって運動能力を大幅に向上させた。単発機としては日本初の首車輪式(機体前方に主脚輪をもつ)[1]。初号機の初飛行は1954年昭和29年)2月11日

スペック

  • 乗員 - 2名
  • 全長 - 8.5m
  • 全幅 - 11.5m
  • 全高 - 2.8m
  • 全備重量 - 1,385kg
  • エンジン - ライカミング GO-435-C2B 空冷水平対向6気筒
  • 出力 - 260hp(194kW)
  • 最大速度 - 298km/h
  • 航続距離 - 1,140km
  • 実用上昇限度 - 6,000m

脚注

  1. ^ a b c 平成30年9月「川崎 KAT-1 練習機」|各務原市”. www.city.kakamigahara.lg.jp. 2020年3月26日閲覧。

関連項目





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