ジャコバン派
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ジャコバン派(ジャコバンは、フランス語: Jacobins[1][6], IPA: [ʒakɔbɛ̃][9]; Club des Jacobins[3][4][7][9]、英語: Jacobins, Jacobin Club[3])とは、フランス革命期の政治結社である[2]。通称の由来はパリ・サントノレ通りのジャコバン修道院[注釈 1][注釈 2]を本部としたことによるが[1]、正式名称は「憲法の友の会」[1](Société des Amis de la Constitution[3])[注釈 3]、「ジャコバン協会、自由と平等の友[注釈 4]」[4][7](Société des Jacobins, Amis de la Liberté et de l’Égalité[3])[注釈 5]である。
注釈
- ^ 「ジャコブ」とは、ユダヤ人の祖である「ヤコブ(イスラエル)」に由来する人名「ヤコブ」のフランス語読みである。つまり「ジャコバン派」とは「ヤコブ派」である。
- ^ パリには「ジャコバン修道院」という名の修道院が歴史上2つあるため、区別のために「サントノレ通りのジャコバン修道院」(Couvent des Jacobins de la rue Saint-Honoré)ともいう。
- ^ 1789年から1792年まで使われた名称[3]。
- ^ 日本大百科全書では「自由と平等の友なるジャコバン・クラブ」と訳している[1]。
- ^ 1792年9月以降に使われた名称[1]。
- ^ ジャコバン派はサン=ドマング(ハイチ)での黒人奴隷の反乱を受け、西欧世界初の奴隷制廃止を決議した。この決議はナポレオン・ボナパルトによって反故にされるまで効力を保った。
- ^ トリニダード・トバゴのC・L・R・ジェームズは、1938年にルーヴェルチュールを「ブラック・ジャコバン」と評した。
- ^ ロベスピエール派が中道派と呼ばれる場合は、(左派である)ジャコバン派の中でのという意味であり、フランス革命の全体からみれば必然的に中道左派になる。またロベスピエールやサン=ジュストの政策はかなり社会主義的で、中道ということはできない
- ^ 恐怖政治の時代に、独裁的な権限を発揮したのは、地方や軍に派遣された派遣議員たちである。彼らは無制限の権限を認められており、まさに地方の独裁者である。そして彼らを監査する立場が公安委員会であった
- ^ テルミドール9日の議会での出来事が起こった背景にも、公安委員コロー・デルボワの説得失敗がある
出典
- ^ a b c d e f g h i j 樋口謹一. 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク. 2018年11月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2018年11月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Jacobin Club French political history Britannica.com. 2018年11月13日閲覧。
- ^ a b c d 百科事典マイペディア コトバンク. 2018年11月13日閲覧。
- ^ a b c 大辞林 第三版 コトバンク. 2018年11月13日閲覧。
- ^ a b c d e f デジタル大辞泉 コトバンク. 2018年11月13日閲覧。
- ^ a b c 世界大百科事典 第2版 コトバンク. 2018年11月13日閲覧。
- ^ Brinton, Crane (2011). The Jacobins: An Essay in the New History. Transaction Publishers. p. xix. ISBN 9781412848107 2015年4月16日閲覧。
- ^ a b 大槻鉄男・佐々木康之・多田道太郎・西川長夫・山田稔共編 『DICTIONNAIRE FRANÇAIS-JAPONAIS CROWN クラウン仏和辞典 第2版』 三省堂、1986年(第9刷発行)、754頁。ISBN 4-385-11925-2。
- ^ 桂圭男. “パリ・コミューン #コミューンの生と死”. コトバンク. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2019年6月13日閲覧。
- 1 ジャコバン派とは
- 2 ジャコバン派の概要
- 3 定義
- 4 ジャコバン派内部における党派
- 5 脚注
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