鉄門 (中央アジア)とは? わかりやすく解説

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鉄門 (中央アジア)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 07:24 UTC 版)

鉄門(てつもん)とは、バルフサマルカンドの間の隘路である。この隘路はヒサール山脈からアムダリヤ川の方に南北に広がる険しい山脈を抜ける数少ない通り道になっている。そのため紀元前328年にマケドニアのアレクサンドロス3世がここを通って以来[1]バクトリアソグディアナ間の通路として使われ、この地方のどんな権力にとっても重要な隘路だったようである。名前の由来は隘路に聳え立つで補強されたであり、実際にスルハンダリヤ州バイスンの西にあったと信じられている[2]


  1. ^ S・ヘディン『カラコルム探検史(上)』白水社、1979年、P.21。
  2. ^ Alexey V. Arapov.. “Boysun. Masterpieces of Central Asia”. 2014年3月25日閲覧。 “The Iron Gates were located on the old road in the canyon of Dara-i Buzgala-khana 3 km to northwest from Shurob kishlak.”


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