クリス・ギュフロイ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 06:46 UTC 版)
クリス・ギュフロイ(Chris Gueffroy、1968年6月21日- 1989年2月6日)は、東ドイツに住んでいた人物である。1989年2月6日の深夜に友人とともにベルリンの壁を越えようとして発見され、国境警備兵に射撃された。友人は負傷し、ギュフロイは死亡した[1][2][3]。ベルリンの壁脱出失敗による最後の殺人被害者[注釈 1][4]であり、ベルリンの壁が崩壊するわずか9か月前に起きた事件であった[1][2]。トレプトウ地区の射殺現場には、ギュフロイのための慰霊碑が存在している[2]。
注釈
- ^ ベルリンの壁での殺害によらない最後の事故死者は、1989年3月3日のヴィンフリート・フロイデンベルクという男性である。彼は自作の気球を使って東ベルリン脱出を試みたが、西ベルリンのツェーレンドルフ地区までさしかかったところで気球が墜落して死亡した。なお、同年4月16日には身元不明の18歳前後と思われる少年が溺死している。
- ^ 『東ドイツ(DDR)の実像 独裁と抵抗』(2010年)では、ギュフロイとガウディアンは持参の携帯用はしごを使って柵を越えようと試みた旨の記述がある。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by 近藤、pp .77-85.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 熊谷、pp .119-122.
- ^ a b c d e f ヒルトン(下)、pp .155-156.
- ^ 熊谷『観光コースでないベルリン』 120ページ
- ^ a b c d e “Chris Gueffroy”. Berlin Wall Memorial. 2015年2月12日閲覧。 (英語)
- ^ a b c d e f g h i j k l ヴォルフルム、pp .119-120.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 近藤、pp .89-95.
- ^ a b c ヒルトン(下)、pp .158-159.
- ^ a b c d e f g h i j ヒルトン(下)、pp .332-335.
- ^ “MEMORIAL TO CHRIS GUEFFROY, BERLIN”. coldwarsites.net. 2015年2月12日閲覧。 (英語)
- ^ a b c 熊谷、pp .118-119.
- ^ a b 山本、pp .29-31.
- ^ ヒルトン(上)、pp .258-259.
- 1 クリス・ギュフロイとは
- 2 クリス・ギュフロイの概要
- 3 参考文献
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