1912年ドイツ帝国議会選挙
1907(英語版 ) ←
1912年1月12日 (1912-01-12 )
→ 1919
ドイツ帝国議会 397議席
投票率
84.89% 0.24%
第1党
第2党
第3党
党首
アウグスト・ベーベル & フーゴー・ハーゼ
ゲオルク・フォン・ヘルトリング
エルンスト・バッサーマン
政党
ドイツ社会民主党
中央党
国民自由党
党首就任
1892(上) 1911(下)
1909
1898
前回選挙
28.94%, 43議席
18.79%, 101議席
14.80%, 56議席
獲得議席
110
90
45
議席増減
67
11
11
得票数
4,250,400
1,988,504
1,662,700
得票率
34.82%
16.29%
13.53%
得票率増減
5.88%
2.50%
1.27%
第4党
第5党
第6党
党首
エルンスト・フォン・ハイデブラント(ドイツ語版 )
オットー・フィッシェバック(英語版 )
フェルディナント・ラジヴィウ
政党
ドイツ保守党
進歩人民党
ポーランド会派(英語版 )
党首就任
1911
1910
1889
前回選挙
9.41%, 59議席
10.66%, 50議席[1]
4.03%, 20議席
獲得議席
41
41
18
議席増減
18
9
2
得票数
1,006,570
1,448,097
441,744
得票率
8.25%
11.86%
3.62%
得票率増減
1.16%
1.20%
0.41pp
選挙区毎の結果
1912年ドイツ帝国議会選挙 は1912年 1月12日 にドイツ帝国 行われた選挙である。[2] この選挙では1890年の選挙(英語版 ) 以来常に議会にて最多得票数を持ち1907年の選挙(英語版 ) では100万票を獲得したドイツ社会民主党 が初めて第一党の座を手にした選挙である。[3] [4]
概略
1912年のこの選挙は第一次世界大戦前並びに帝政時代最後の選挙であり、上層階級(ユンカー 等の保守層)の寡占政治に反発するドイツ社会民主党 、中央党 、進歩人民党 等の政党が過半数を得た。この選挙結果は最終的にはベートマン・ホルヴェーク 政権に対する不信任を明らかにするものとなり、1913年のツァーベルン事件 による帝政史上初の不信任投票権の行使や、第一次世界大戦 中の帝国議会平和決議案(英語版 ) の採択へと繋がった。この3党の勝利は、政府へと不信感を突きつける形になったが、3党内、特に社会民主党とその他2政党間の政権に対する主張のすれ違いは大きく、政府の行動に十分な制約をかけられる程の協力関係は結べなかった。 フリッツ・フィッシャー を始めとする一部の歴史家は、第一次世界大戦にはこの選挙結果に対する保守的なプロイセン ユンカー 達の行動が原因の一翼を担ったのではないかと主張している。[5] つまり、彼らユンカー 達は、保守的な政党や政策に対する支持の拡大や躍進を遂げた社会民主党 に対する世間の目をそらすため、愛国心に訴える行動を起こすよう仕向けようとしたのだ。だが、それは結局ロシア帝国 やセルビア王国 等の東欧スラブ諸国との対立を招くこととなった。
選挙制度
ドイツ帝国は小選挙区制 を採用している。投票は二回投票制 (すなわち最初の投票において全得票の過半数を占める候補者が現れなかった場合、上位2名による決選投票を行い代議士を選出する制度)によって行われる。ドイツ帝国は選挙区 の割り振りにおいて法的規制が緩いため、かなり不均一な区割りになっている。特にユンカー等の地主層への便宜で、田園地帯に選挙区が集中しており、人口の少ない地域の代表が議会に占める割合が非常に高くなっている。
選挙資格
1869年より選挙権は下記の条件を満たす者に付与される。 ・満25歳以上の男子 ・選挙区のある地域に居住している者 ・従軍中の軍人ではない者 ・有罪判決を受けていない者 ・貧困による公的支援を受けていない者 ・投票の能力を有さない者
選挙結果
e • d
1912年ドイツ帝国議会選挙
(1912年1月12日実施)
党派
選挙区
合計
得票数
%
増減%
議席数
増減
社会民主党
4,250,399
34.82
5.88
110
67
中央党
1,988,504
16.29
2.50
90
11
国民自由党
1,651,115
13.53
5.59
45
11
進歩人民党
1,448,097
11.86
1.24
41
9
ドイツ保守党
1,006,570
8.25
1.16
41
18
ドイツ帝国党
396,948
3.25
0.94
14
10
独立ポーランド人
246,275
2.02
0.11
10
0
ドイツ農民連盟(英語版 )
165,034
1.35
0.18
5
2
エルザス・ロートリンゲン党(英語版 )
148,202
1.21
0.11
9
2
キリスト教社会党(英語版 )
104,219
0.85
0.33
4
0
ポーランドカトリック党
93,629
0.77
0.33
3
1
ドイツ=ハノーファー党
90,168
0.74
0.08
5
3
ポーランド農民党
81,140
0.66
0.13
3
1
独立保守派
74,323
0.61
0.18
4
4
ドイツ社会党(英語版 )
73,169
0.60
0.18
3
5
ELD
60,886
0.50
新政党
4
4
ドイツ改革党
60,758
0.50
0.52
3
3
独立自由派
53,939
0.44
0.32
0
3
バイエルン農民連盟(英語版 )
48,219
0.02
0.22
2
2
農民連盟
41,352
0.34
新政党
2
2
ドイツ民主連合(英語版 )
29,444
0.24
新政党
0
0
中流階級同盟
27,095
0.22
0.44
0
2
ポーランド宮廷党
20,700
0.17
0.18
1
1
デンマーク党(ドイツ)(英語版 )
17,289
0.14
0.00
1
0
ロレーヌ土地党
7,039
0.06
0.14
1
0
リトアニア党
6,227
0.05
0.01
0
0
独立反ユダヤ主義 者
1,604
0.01
0.13
0
0
少数保守派
1,081
0.01
0.03
0
0
少数農民派
4,027
0.01
0.24
0
1
その他
9042
0.08
0.01
0
0
無効票
53,099
0.43
合計
12,260,731
100
397
0
有権者数・投票率
14,442,387
84.89
資料源:Wahlen in Deutschland
e • d
1912年ドイツ帝国議会選挙(エルザス・ロートリンゲン 地方)
(1912年1月12日実施)
党派
選挙区
合計
得票数
%
増減%
議席数
増減
社会民主党
110,695
31.75
8.00
5
3
エルザス・ロートリンゲン中央党
96,646
27.72
0.75
7
0
ELD
60,886
17.46
新政党
1
1
独立ロートリンゲン党
36,336
10.42
3.70
2
1
エルザス・ロートリンゲンの抵抗者
15,220
4.37
2.08
0
1
中央党
13,715
3.93
8.69
0
1
ドイツ帝国党
7,373
2.11
0.65
0
1
ロートリンゲン土地党
7,039
2.02
4.47
0
0
その他
744
0.21
0
0
無効票
5807
1.64
合計
348,654
100
15
0
有権者数・投票率
417,701
84.86
資料源:Wahlen in Deutschland
脚注
^ 合併前の政党たる 自由思想家人民党 (6.55%, 29議席) 自由思想家連合 (3.01%, 14議席)ドイツ人民党 (1.10%, 7議席)の合計
^ Dieter Nohlen & Philip Stöver (2010) Elections in Europe: A data handbook , p762 ISBN 978-3-8329-5609-7
^ Nohlen & Stöver, pp. 774–789
^ Nohlen & Stöver, p789
^ Fischer, Fritz (1961). Germany's Aims in the First World War . W. W. Norton & Company.
ISBN 0-393-09798-6
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