黒川照家とは? わかりやすく解説

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黒川照家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 23:53 UTC 版)

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黒川 照家(くろかわ みつや、1951年9月18日 - 2020年6月6日)は、日本の音楽家。元「1986オメガトライブ」のギタリスト。本名、黒川 光哉(読み同じ)。

経歴・人物

東京都中野区出身。高校中退後、バンド活動を始める。

1977年、アマチュアバンド「リバーサイド」で『EAST WEST '77』に出場、同バンドは準優勝を果たした(同じく準優勝をしたのがカシオペアだった)。

1979年から1985年にかけて岩崎宏美菊池桃子のバックバンド「パイナップル・カンパニー」でバンドマスターとして活動した後、1986年にオメガトライブの第2弾のプロジェクト「1986オメガトライブ」にギタリストとして加入。同バンドのリーダーも務めたが、5枚目のシングル「Stay girl Stay pure」を最後に脱退を宣言、1988年3月に正式に脱退した(これを機に同バンドは「カルロス・トシキ&オメガトライブ」に改名する)。

その後は体調不良から長期間音楽活動を休止していたものの、2007年に活動を再開する。

再開後はソロでのライブ活動をする傍ら、新井正人とのジョイントライブやKEICOのサポート活動など多方面で活動していた。

2020年6月6日、敗血症の為68歳で急逝[1]

作曲した楽曲

脚注

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  1. ^ TAROs 公式Twitter” (2020年6月8日). 2020年6月9日閲覧。

関連項目




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