高林利春とは? わかりやすく解説

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高林利春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/09 03:29 UTC 版)

 
高林 利春
時代 江戸時代
生誕 慶長10年(1605年
死没 承応元年4月26日1652年6月2日
別名 弥市郎(通称)、道㬢(法名)
墓所 永源寺埼玉県坂戸市
官位 従五位下、河内守
幕府 江戸幕府 小姓徒頭書院番士、進物番
主君 徳川家光徳川家綱
氏族 島田氏→高林氏
父母 父:島田利正、養父:高林吉次
兄弟 島田利世、高林利春、島田利香、
島田守政、島田利直、島田利近
先妻:高林吉次の娘
後妻:村井道意の娘
高林利之
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高林 利春(たかばやし としはる)は江戸時代旗本。坂戸島田家の島田利正の二男。高林吉次の養子。通称は弥市郎。

生涯

元和5年(1619年)より徳川家光に仕え、その小姓となる。

寛永元年(1624年)12月29日に従五位下に叙される。その後徒頭となり、寛永3年(1626年)4月に常陸国真壁郡で500石の所領を与えられる。

その後書院番士を務め、寛永9年(1632年)11月5日より進物番となり、寛永10年(1633年)2月7日には下野国都賀郡の200石を加増された。

寛永19年(1642年)10月16日、実父・利正の知行から下総国千葉郡相馬郡相模国高座郡武蔵国入間郡の1000石を分与され、合計2210石を知行することとなる。その後職を辞して寄合に列し、承応元年(1652年)4月26日に48歳で死去。坂戸の永源寺に埋葬された[1]

脚注

  1. ^ 寛政重修諸家譜 第1輯』国民図書、1922年、p.553。



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