高林利春
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時代 | 江戸時代 |
生誕 | 慶長10年(1605年) |
死没 | 承応元年4月26日(1652年6月2日) |
別名 | 弥市郎(通称)、道㬢(法名) |
墓所 | 永源寺(埼玉県坂戸市) |
官位 | 従五位下、河内守 |
幕府 | 江戸幕府 小姓、徒頭、書院番士、進物番 |
主君 | 徳川家光→徳川家綱 |
氏族 | 島田氏→高林氏 |
父母 | 父:島田利正、養父:高林吉次 |
兄弟 | 島田利世、高林利春、島田利香、 島田守政、島田利直、島田利近 |
妻 | 先妻:高林吉次の娘 後妻:村井道意の娘 |
子 | 高林利之 |
高林 利春(たかばやし としはる)は江戸時代の旗本。坂戸島田家の島田利正の二男。高林吉次の養子。通称は弥市郎。
生涯
寛永元年(1624年)12月29日に従五位下に叙される。その後徒頭となり、寛永3年(1626年)4月に常陸国真壁郡で500石の所領を与えられる。
その後書院番士を務め、寛永9年(1632年)11月5日より進物番となり、寛永10年(1633年)2月7日には下野国都賀郡の200石を加増された。
寛永19年(1642年)10月16日、実父・利正の知行から下総国千葉郡・相馬郡・相模国高座郡・武蔵国入間郡の1000石を分与され、合計2210石を知行することとなる。その後職を辞して寄合に列し、承応元年(1652年)4月26日に48歳で死去。坂戸の永源寺に埋葬された[1]。
脚注
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