高木のターニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 15:30 UTC 版)
「シマノ・Tourney」の記事における「高木のターニー」の解説
高木製作所は、ハブ製造の三光舎と共に戦後を代表する自転車部品メーカであったが、1970年頃の第二次サイクリングブームが下火になった1974年に経営難からか市場から姿を消す。その高木製作所が1970年代初頭に製造していた上位グレード・クランクのブランド名がターニーであった。高木の技術者は、同じ堺の島野工業(現在のシマノ)へ移り、現在のシマノのDuraAceなど高品位クランク製造の基礎を作った。1970年代中ごろに、シマノはターニーの名称でセンタープル・ブレーキを製造しており、これは後のDuraAce-EXセンタープルの原型であり、DuraAce AXセンタープル、現在のDuraAceデュアルピボット・ブレーキにつながる。
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