飯田龍太
飯田龍太
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飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10日 - 2007年(平成19年)2月25日)は、山梨県出身の日本の俳人。飯田蛇笏の四男で[1]、蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰。戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した。句集に『百戸の谿』(1954年)、『童眸』(1959年)、『遅速』(1991年)など。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 76頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『飯田龍太展』、p.76
- ^ 有泉貞夫 「俳人蛇笏・龍太と戦争(改稿)」『私の郷土史・日本近現代史拾遺』 110-112頁。
- ^ 飯田龍太・村上護 「わが俳句を語る」『俳句文庫 飯田龍太』13-14頁。
- ^ [1] 笛吹市教育委員会会議録令和6年3月定例会
- ^ 『現代の俳人101』 101頁。
- ^ 『定本現代俳句』 479-480頁。
- ^ 『森澄雄 飯田龍太集』解説、366頁。
- ^ 丸山哲郎 「わが師、わが結社」『俳句文庫 飯田龍太』184-185頁。
- ^ 『定本現代俳句』490-491頁。
- ^ 『飯田龍太の彼方へ』 7-15頁。
- ^ 『飯田龍太の彼方へ』 135-140頁。
- 1 飯田龍太とは
- 2 飯田龍太の概要
- 3 井伏鱒二との交流
- 4 参考文献
固有名詞の分類
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